下田 広氏(しもだ ひろうじ)は、戦国時代の武士。
略歴
下田氏は丹波国の国人。秦河勝の後裔とされる[1]。下田氏(川勝氏)は丹波桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えてきた。
広氏は15世紀末期 - 16世紀初期を生きた人物で、家伝によれば、秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。10代将軍・足利義材、11代将軍・義澄に仕えた。丹波桑田郡下田に住していたので下田を称した。『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』ともに、広氏から幕臣川勝氏の系図は始まっている。
先の応仁の乱では、幕府の管領を務めた細川勝元に従って、下田氏(川勝氏)は他の国人衆と共に合戦に参加、丹波の有力な国人領主であったことが窺われる。
脚注
- ^ 家伝(『寛政重修諸家譜』編纂時の呈譜等)によれば、下田美作守広氏は秦河勝(広隆)より32代目の嫡流とされる。しかし、『寛永諸家系図伝』には、広隆と美作守某(丹波国の住人)は「此間断絶す」とある。
出典
- 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
関連項目