七代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく)は、落語家。江戸・上方に二人おり、上方は自称七代目。
- 江戸七代目三笑亭可楽 - 本項にて記述
- 上方七代目三笑亭可楽 - 後∶初代三遊亭圓若
七代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1886年〈明治19年〉1月31日 - 1944年〈昭和19年〉4月12日)は、落語家。本名∶玉井 長之助。通称「玉井の可楽」。
経歴
1886年、東京京橋に産まれる。12歳で銀座の時計屋に奉公に出てその頃から天狗連に没頭する。
1907年ごろに2代目談洲楼燕枝に入門。燕福となる。1908年10月、柳亭燕玉と改名し二つ目昇進。1911年1月、柳亭傳枝に改名。1916年2月、5代目桂才賀で真打。
1918年5月、桂文鶴となる。また、同年12月春亭文枝に改名。この頃から腕はしっかりしてきたが一般受けはしておらず、心機一転のため1922年10月に5代目柳亭左楽門下で柳亭小左楽を名乗る。1926年3月から10月まで滝亭鯉昇を名乗る。同年11月、7代目可楽を襲名。
1935年3月から東宝名人会に招かれるがやはり芽が出ず、1938年4月から「可楽を聴く会」を毎月一回60回にわたり開き、評価された。
1944年、自宅で酔った勢いで階段から転落、背中を強打して逝去。享年58。墓所は台東区明順寺。
芸風・人物
ネタは尊敬していた3代目柳家小さん系のものを多く演じた。『粗惣長屋』『笠碁』『うどんや』『睨み返し』『千早ふる』『御慶』『意地くらべ』『猫久』などがある。
安藤鶴夫が近所に住んでいて懇意にしてい
た。
俳句と風呂が趣味であり、落語家の句会の宗匠を務めるほどの腕前であった。
前述の通り、三代目小さんを崇拝しており、「小さんの影法師」と評する向きもあるぐらい、芸質が小さんに似ていた。
脚注
注釈
出典