ヴィンス・エドワーズ(Vince Edwards、1928年7月9日 - 1996年3月11日)は、アメリカ合衆国の俳優、演出家、歌手。ヴィンセント・エドワーズとも表記される。日本でも放送され大ヒットしたメディカルドラマ『ベン・ケーシー』(1961年 - 1966年)の主演俳優として知られている[1][2]。
略歴
1928年にイタリア系アメリカ人の煉瓦職人であるヴィンチェント・ゾイーノの息子として双子で生まれる(双子の弟アンソニーは7人兄弟の末っ子)[2]。
高校時代は水泳選手として活躍し、奨学金をもらってオハイオ州立大学に入学、2年後にハワイ大学に転校してオリンピックを目指す[2]が、虫垂炎の手術により断念。
アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学び、ニューヨークの舞台に立つ[2]。
パラマウント映画と契約し、1951年の映画『Mr. Universe』で映画デビュー。3本目に出演した翌1952年の映画『Hiawatha』では初主演を果たす。その後、いくつかの映画やテレビドラマに主演や準主演で出演するが、特に目立った活躍を見せることはなかった。
俳優以外にも歌手として活動して、各地のクラブで歌ったこともあった。そしてやがてビング・クロスビーに見出されて、そのビング・クロスビープロダクションが製作したのが『ベン・ケーシー』であった。
1961年に放送が始まった『ベン・ケーシー』に主演として抜擢されて、このドラマの大ヒットにより、米国だけでなく、日本でも人気スターとなる。また同作においては多くのエピソードで演出も担当している。更にドラマの人気にあやかり、6枚のレコードアルバムを発売するなど歌手としても活動し、ニューヨークやラスベガス、ロサンゼルスで行なったショーは完売となった。
その後もテレビドラマや映画『勝利者』『コマンド戦略』に出演し、『宇宙空母ギャラクティカ』(1978年、1980年)などのテレビドラマの演出も担当するが、ベン・ケーシーのイメージが強すぎたためか、役柄が限られて特に目立った活躍を見せることはなかった。
1996年、膵臓癌により死去[2]。
主な出演作品
エピソード
マルチアスリートとして知られるボー・ジャクソンの本名「Vincent Edward」はヴィンス・エドワーズから名付けられた[3]。
出典
外部リンク