ローレン・ルドン(仏: Laurent Redon、1973年8月5日 ー )は、フランス・ロワール出身の元レーシングドライバー。1995年のフランス・フォーミュラ3選手権チャンピオン。
1993年までFIA世界カート選手権に参戦し、1994年に20歳でフランス・フォーミュラ3選手権にステップアップする。 フォーミュラ2年目の1995年よりエルフの後援を受け、この年に4度の優勝と2位4回、全13戦中9戦で表彰台圏内という好成績でニコラ・ミナシアン、ソエイル・アヤリ、ステファン・サラザンなどを破りシリーズチャンピオンを獲得した。
1996年よりDAMSに加入し、国際F3000選手権にステップアップ。チームメイトは1994年のフランスF3チャンピオン・ジャン=フィリップ・ベロクとのコンビとなり、2人のフランスF3王者が揃うチーム体制となった。しかし、同年より国際F3000ではマシンがワンメイク化されると、DAMSはF3000でそれまで持っていた強さをやや失い、レドンは最高位4位の年間ランキング8位に留まり、ベロクはノーポイントとDAMSにとって苦戦の年になった。レドンは1997年にスーパーノヴァ・レーシングへ移籍し、A1リンクでF3000でのキャリアハイとなる3位に入り、ランキング9位となった。
1998年にF1チームのミナルディ、1999年にベネトンのテストドライバーを務め、1999年にはFIA スポーツカー選手権に参戦した。2001年にペスカローロ・スポールからヨーロピアン・ル・マン・シリーズとFIA スポーツカー選手権に参戦し、両方のシリーズでレースに勝利し、2001年のル・マン24時間レースで13位で完走した。
2001年にインディカー・シリーズの最後の2レースにコンクェスト・レーシングより参戦。2002年のインディアナポリス500を含め、2002年に1年間チームに復帰し、カリフォルニア・スピードウェイで3位に入賞。ランキング12位に入り同年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを勝ち取った。彼は後にスーパーリーグ・フォーミュラに出場するレーシングチームを運営した。