ロバート・カミングス(Robert Cummings、1910年6月9日 - 1990年12月2日)は、アメリカ・ミズーリ州出身の俳優。ボブ・カミングス(Bob Cummings)の表記もある。
日本ではアルフレッド・ヒッチコック監督作品『逃走迷路』(1942年)と『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)の2作品で知られるが、万年青年イメージのルックスを活かしたコメディ映画への出演が多い。
1910年、外科医であるチャールズ・クラレンス・カミングスの息子として生まれる[1]。高校生の時より、代父(名付け親、godfather)であるオーヴィル・ライトから飛行の手ほどきを受けた[2][3][4]。
1931年、ブロードウェイデビュー。英国人俳優がもてはやされていたことから、イングランドに渡り、上流階級のアクセントを学び、更に英国人風に見せるために芸名を「ブレイド・スタンホープ・コンウェイ(Blade Stanhope Conway)」とする[5][4]。
1934年、ハリウッドに渡り、芸名を「ブルース・ハッチェンス(Bruce Hutchens)」とする[5][4]が、その後、本名の「ロバート・カミングス」に変更する。1939年、『庭の千草』で主演のディアナ・ダービンの相手役を演じて一躍スターとなる。その後多くのコメディ映画に出演。
1942年、第二次世界大戦に陸軍航空隊として従軍[6][2][4]。
1952年、テレビでの活動を開始。1954年に放送されたテレビドラマ『十二人の怒れる男(Twelve Angry Men)』(CBS)の演技[注 1]でプライムタイム・エミー賞ミニシリーズ/テレビ映画部門主演男優賞を受賞。また、1955年から1959年まで放送された、自身が毎回主演を務めるシリーズ『The Bob Cummings Show』(NBC)はヒットとなり、1961年から1962年までCBSでも再度制作された。
1955年、『ディズニーランド(Disneyland)』(ABC)にリポーターとして特別出演。アート・リンクレターやロナルド・レーガンと共に、開園初日のディズニーランドの模様を生放送で伝えた。なお、1986年にも同シリーズのスペシャル番組で司会を務めたほか、1990年にはディズニーランド開園35周年の特別番組に出演した。これが生前最後のメディア出演となった。
1990年、腎不全により死去[7]。
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