レンバーグ

レンバーグ
ダービーステークス優勝時
(1910年6月1日、エプソム競馬場
欧字表記 Lemberg
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1907年
死没 1928年
Cyllene
Galicia
母の父 Galopin
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Mr Fairie(アルフレッド・W・コックス
馬主 Mr Fairie(アルフレッド・W・コックス
調教師 アレック・テイラー・ジュニア
競走成績
生涯成績 24戦17勝 (17-4-2-1)
獲得賞金 ポンド
勝ち鞍 ニューステークス (1909)
ミドルパークステークス (1909)
デューハーストステークス (1909)
ダービーステークス (1910)
セントジェームズパレスステークス (1910)
エクリプスステークス (1910)
ジョッキークラブステークス (1910)
チャンピオンステークス (1910, 1911)
コロネーションカップ (1911)
ドンカスターカップ (1911)
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レンバーグLemberg1907年 - 1928年)はイギリス競走馬及び種牡馬である。

セントレジャーステークス優勝馬バヤルドの半弟であり、1910年のダービーステークスで優勝し、種牡馬としても英愛リーディングサイアーに輝いた。

出自

レンバーグはMr. Fairieという名義で所有馬を走らせていたアルフレッド・W・コックス英語版によって生産された。

サイリーンアスコットゴールドカップ優勝馬であり、種牡馬としてレンバーグのほかにミノルタガリー英語版キケロ英語版と3頭のダービー馬や6度の英愛リーディングサイアーに輝いたポリメラスなどを出した。

ガロピン産駒の母ガリカは、レンバーグを産む前年にセントレジャーステークス優勝など25戦22勝で種牡馬としてゲイクルセイダーゲインズバラの2頭の三冠馬の父となったバヤルド、1913年には1916年のダービー2着馬Kwang-Suなどを産んでいる。

レンバーグはクラシックレース16勝のアレック・テイラー・ジュニア英語版のもとで調教された。

競走成績

2歳時(1909年)

プライベートトライアルの後にロイヤルアスコット競馬場ニューステークスに出走したレンバーグは2着馬に1馬身半差をつけて優勝した。

ニューマーケット競馬場のチェスターフィールドステークスにも優勝したレンバーグであったが、グッドウッド競馬場のルースメモリアルステークスではニールゴウ英語版の3着に敗れた。

秋には調子を戻しニューマーケットでのルースメモリアルステークス(5f)では牝馬Yellow Slaveに首差をつけて優勝し、ミドルパークステークスでは後のアメリカチャンピオンであるウィスクブルームに首差で勝利し、デューハーストステークスでも同馬に5馬身差をつけて優勝した。

3歳時(1910年)

レンバーグの3歳初戦は2000ギニーとなった。シーズン前には騎手ダニエル・マハー英語版を巡りライバルであるニールゴウと競合していたが、マハーはニールゴウを選んだため、バーナード・ディロン英語版が騎乗することになった。レンバーグは最高のレースをしたニールゴウに短頭差及ばなかったが、レンバーグはステイヤーだと考えられていたので、距離が伸びるダービーではさらに期待がかけられた。

ディロン騎乗でダービーに出走したレンバーグは先頭のセントフラスキン産駒グリーンバック (Greenback) を終始追いかけて、ゴール前で追い抜くと首差をつけて2分35秒2のレコードタイムで優勝した。ニールゴウは落ち着きがなくスタートに失敗して4着に終わった。

パリ大賞典出走時(1910年6月26日、ロンシャン競馬場

ダービー後はロイヤルアスコット競馬場セントジェームズパレスステークスに出走したレンバーグは3馬身差をつけて優勝。その後はパリ大賞に遠征し、先行したものの、重い馬場で体力を消耗したのか4着に敗れた。

7月にはサンダウン競馬場エクリプスステークスで再びニールゴウと顔を合わせ、デッドヒートの末レンバーグが勝利した。

秋にはセントレジャーステークスに出走したレンバーグではあったが、調教不足のせいかダービーとセントジェームズパレスステークスで破っていたスウィンフォードの3着に敗れた。

その後は体調が戻るとジョッキークラブステークスチャンピオンステークスなどに優勝した。

4歳時(1911年)

6月にエプソム競馬場コロネーションカップに出走したレンバーグはセントレジャーステークスで敗れた5連勝中のスウィンフォードに雪辱し、34馬身差をつけて優勝した。

7月のプリンセスオブウェールズステークス英語版でも人気になったレンバーグであったが、5ポンド差が響いたのかスウィンフォードに1馬身半差をつけられて敗れた。

エクリプスステークスではスウィンフォードと同斤量となったレンバーグだが、さらに良化したスウィンフォードに敵わず4、5馬身差をつけられて連敗した。

その後、レンバーグは秋にドンカスターカップ優勝、ジョッキークラブステークス2着、単走でのチャンピオンステークス連覇などの成績を残し引退した。

種牡馬成績

引退後はニューマーケットのハミルトンスタッドで種牡馬となり、1922年の英愛リーディングサイアーに輝いた。

おもな産駒

血統表

Lemberg血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 エクリプス系
[§ 2]

Cyllene
1895 栗毛
父の父
Bona Vista
1889 栗毛
Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Vista Macaroni
Verdure
父の母
Arcadia
1887 栗毛
Isonomy Sterling
Isola Bella
Distant Shore Hermit
Lands End

Galicia
1898 黒鹿毛
Galopin
1872 鹿毛
Vedette Voltigeur
Mrs.Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
母の母
Isoletta
1891 鹿毛
Isonomy Sterling
Isola Bella
Lady Muncaster Muncasterwikidata
Blue Light
母系(F-No.) 10号族(FN:10-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Isonomy S3×M3、Doncaster S4×M5、Stockwell S5×S5×M5、Voltaire M5×M5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[2]
  2. ^ netkeiba.com[2]
  3. ^ JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[2]
  4. ^ JBISサーチ[1]

出典

  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Lemberg(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年7月23日閲覧。
  2. ^ a b c Lembergの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年7月23日閲覧。

外部リンク