ルイージ・デ・ロッシは1474年にフィレンツェで、レオネット・デ・ロッシ(Leonetto de' Rossi)と、僭主ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチとルクレツィア・トルナブオーニ(実際にはルクレツィアとヴェルニオ・デ・バルディ伯爵)の娘マリア・ディ・ピエロ・デ・メディチ(イタリア語版)の息子として生まれた[1]。ルイージの母親はロレンツォ・イル・マニフィコの姉妹であったため、ロレンツォの次男であるジョヴァンニ・デ・メディチ(レオ10世)と従兄弟であった。1479年に母マリアは死去し、さらに1485年に父レオネットが横領で投獄されたとき[2]、ルイージはおそらくロレンツォ・デ・メディチの家に迎え入れられ、従兄弟ジョヴァンニとともに教育された[1]。ロレンツォ死後の1494年のメディチ家追放後はジョヴァンニと行動を共にしたらしく、1512年4月11日にはジョヴァンニとともにラヴェンナの戦いに参加している。この戦いでのロッシの行動はジョヴァンニとの親密な関係を強固なものとし、彼がレオ10世として即位するとロッシもローマに移り、首席書記官に任命されている[2]。しかし、概してロッシは気の強い性格の持ち主ではなく、レオ10世の即位後もその政治的役割を認めることはほとんどできない[2]。