ウェインは動物に関係したチャリティー活動へも参加している。口のきけない我が友連盟評議会 (Governing Council of Our Dumb Friends League) 、猫保護協会 (Society for the Protection of Cats) 、反生体解剖協会 (Anti-Vivisection Society) などである。全国猫クラブ (National Cat Club) においては議長として活躍していた。猫への軽蔑観を取り除く手助けができると感じていた。
精神病理学の教科書においては、ウェインの一連の絵画作品の表現の変遷が、彼の精神症状の悪化を示している事例として広く取り上げられている[2]。だがウェインは作品に制作日を入れなかったので、各作品がこれらの教科書で紹介されるような順序で制作されたかどうかは、実際にはわかっていない。ウェインの伝記 "Louis Wain: The Man Who Drew Cats" の著者ロドニー・デイルは、これらの絵画がウェインの精神状態の悪化を示しているという説について「ウェインはさまざまな描画のパターン、さまざまな猫の描写を試みており、亡くなる寸前まで、慣習的なスタイルでの猫の絵画も制作し続けていた。それらは猫よりも抽象的パターンに近づいた(俗説でいうところの)『後期の』作品よりも、10年以上も後の作品である」と批判している[3]。
一方2012年、ケヴィン・ヴァン・エーケレン博士は、ウェインの初期の物語作品、たとえばLouis Wain Kitten Book (1903) などには、すでに精神病的な徴候が現れているという説を提唱している。この分析は、「正常」と「狂気」の間の連続性に注目する、ルネ・ジラールのミメーシス的精神病論に基づいている[4]。
2012年12月、デヴィッド・オ・フリン博士は、ベツレム王立病院文書博物館における「Kaleidoscopic Cats」展のギャラリー講演で、この順序は「作品を制作したルイス・ウェインと、これを一連の順序に並べた精神分析医のウォルター・マクレー (1902–1964)」という2人の人物によって作られたものだ、という見解を示している (Two men and eight cats - YouTube)。オ・フリンによれば、マクリーは1930年代に、芸術活動とメスカリンによって引き起こされる精神症状との関連性について実験を行っており、ウェインの諸作品の時系列的変遷は、先の実験から導いた「統合失調症の患者からは創造的才能が失われる」という主張の証拠だと考えていたという。だがいわゆるアウトサイダー・アートは、こうした説が誤りであることを示している。オ・フリンは、ウェインの後期作品には、作品水準の劣化どころか、より高度な実験性と多彩な色使いが見出せるという。彼は1960年代以後、ウェインの諸作品には制作日付がなく、先の制作順序も特定の意図に沿って作られたものだったことが判明しつつあるにもかかわらず、「『精神病的悪化』という架空のできごとについての表象は驚くほど根強」く、この一連の作品は「精神病院のアートにおけるモナリザ」になったと言う。