ラムゼー・リチャード・ライナグル による肖像画、1813年。
リチャード・アークライト (Richard Arkwright 、1755年 12月19日 – 1843年 4月23日 )は、イギリス の実業家。父の紡績工場 (英語版 ) を引き継いで発展させた。
1799年時点のグレートブリテン王国 における百万長者 (100万ポンド 以上の財産を所有する人物)の1人であり、100万ポンド(2023年時点の1.24億ポンドと同等[ 1] )を所有した[ 2] 。財産管理の面でイギリス国債、イングランド各地での領地に投資したことで、1819年から1820年にかけて紡績事業が赤字転落したときでも安定した収入を得られた[ 3] 。
生涯
発明家 サー・リチャード・アークライト と1人目の妻ペイシェンス(Patience 、旧姓ホルト)の息子として、1755年12月19日にボルトン で生まれた[ 4] 。父の事業を引き継ぐよう育てられ、1783年1月にスタッフォード州 ロースター (英語版 ) の紡績工場 (英語版 ) を、同年7月にダービー州 ベイクウェル の紡績工場を父から譲り受けた[ 3] 。以降事業経営や買収、売却の繰り返しを経て、1792年に父が死去する頃にはロースターとベイクウェルの紡績工場を一部所有し、ダービー州クロムフォード (英語版 ) の紡績工場とマッソン紡績工場 (英語版 ) も所有した[ 3] 。
父の死後にクロムフォードにあるロック・ハウス(Rock House )に引っ越し、1795年にウィラーズリー・キャッスル (英語版 ) が完成するとウィラーズリーに引っ越した[ 5] 。また父の代よりウィラーズリー・キャッスルの敷地内で建設されていたチャペル の工事を進め、1797年にクロムフォードのセント・メアリー教会 (英語版 ) として完成した[ 6] 。領地管理ではウィラーズリー・キャッスルの地所に35万本の木を植え、ガーデンを一般公開した[ 3] 。温室 を設けてパイナップル 、メロン 、モモ を植え、1806年以降はフロスト・グレープ (英語版 ) も植えた[ 3] 。新しいフロスト・グレープ栽培法を発明した功績により、1822年にロンドン園芸協会 から金メダルを授与された[ 3] 。
紡績事業で築いた財産をイギリス国債に投資し、ダービー、スタッフォード、エセックス 、ヘレフォード 、レスター 、ヨーク 州で領地を購入した[ 3] 。このように分散投資を行ったことで、紡績事業の収益が変動しても安定した収入を得て[ 3] 、1799年時点で100万ポンド の財産を築き、1823年には200万、1836年には300万まで膨れ上がった[ 5] 。
1801年、ダービーシャー州長官 (英語版 ) を務めた[ 7] 。政治観は保守派のそれだったが、議会選挙への出馬には辞退した[ 3] 。
1843年4月19日に卒中を起こし、23日にウィラーズリー (英語版 ) で死去した[ 3] 。遺体はクロムフォードのセント・メアリー教会に埋葬された[ 5] 。遺産は300万ポンドを超えると概算された[ 5] 。
家族
アークライト夫婦と娘の肖像画、ジョセフ・ライト 画。
1780年、メアリー・シンプソン(Mary Simpson 、1827年2月24日没、アダム・シンプソンの娘)と結婚[ 8] 、6男5女をもうけた[ 9] 。
エリザベス(1780年[ 9] – 1838年1月30日) - 1802年10月27日、フランシス・エドワード・ハート(Francis Edward Hurt 、1781年2月11日 – 1854年3月22日、フランシス・ハートの息子)と結婚、子供あり[ 10]
リチャード (英語版 ) (1781年9月30日 – 1832年3月28日) - 長男。1803年5月22日、マーサ・マリア・ベレスフォード(Martha Maria Beresford 、ウィリアム・ベレスフォードの娘)と結婚、子供あり[ 11]
ロバート(1783年3月7日 – 1859年8月6日) - フランシス・クロフォード・ケンブル(Frances Crawford Kemble 、1849年没、スティーブン・ケンブル (英語版 ) の娘)と結婚、子供あり[ 8]
ピーター(1784年4月17日 – 1866年9月19日) - 1805年9月2日、メアリー・アン・ハート(Mary Anne Hurt 、1872年9月6日没、チャールズ・ハートの娘)と結婚[ 8]
ジョン(1785年8月27日 – 1858年2月27日) - 1830年4月13日、サラ・ホスキンス(Sarah Hoskyns 、1869年7月19日没、第7代準男爵サー・ハンガーフォード・ホスキンス の娘)と結婚、子供あり[ 8]
チャールズ(1786年11月22日 – 1850年12月28日) - メアリー・シットウェル(Mary Sitwell 、エドワード・S・シットウェルの娘)と結婚[ 8]
メアリー(1788年 – 1803年[ 9] )
ジョセフ(1791年8月9日 – 1864年2月29日) - 1818年10月19日、アン・ウィグラム(Anne Wigram 、1863年5月21日没、初代準男爵サー・ロバート・ウィグラム (英語版 ) の娘)と結婚、子供あり[ 8]
アン(1794年[ 9] – 1844年) - 1818年10月28日、サー・ジェームズ・ウィグラム (英語版 ) (初代準男爵サー・ロバート・ウィグラム (英語版 ) の三男)と結婚、子供あり[ 12]
フランシス(1796年 – 1863年[ 9] )
ハリエット(1798年 – 1815年[ 9] )
子女たちに度々多額の仕送りをした。たとえば、長男リチャードが1803年に結婚したときに3万ポンドを贈り、1805年から1821年まで毎年500ポンドの仕送りをしたほか、1810年以降はノーマントン (英語版 ) の地租収入(毎年1,500ポンド程度)もリチャードが受け取った[ 11] 。三男ピーターが1805年に結婚したときに500ポンドを贈り、1807年にピーターの家具購入に3,000ポンドをあげた[ 13] 。1833年には故人のリチャードを除く息子5人にそれぞれ3,000ポンドを贈り、1834年にそれぞれ追加で2,000ポンドを贈った[ 13] 。さらに1838年にはクリスマス プレゼントとして子女それぞれに1万ポンドを贈った[ 5] 。
社交界ではデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュ が賭博でこさえた借金を返済するためにアークライトから借金した[ 5] 。
出典
^ イギリスのインフレ率の出典はClark, Gregory (2024). "The Annual RPI and Average Earnings for Britain, 1209 to Present (New Series)" . MeasuringWorth (英語). 2024年5月31日閲覧 。
^ Beckett, Andy (29 September 1999). "Who wants to be a millionaire?" . The Guardian (英語). 2025年1月13日閲覧 。
^ a b c d e f g h i j McConnell, Anita (23 September 2004). "Arkwright, Richard". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/646 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ Henderson, Thomas Finlayson (1885). "Arkwright, Richard (1755-1843)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 2. London: Smith, Elder & Co . p. 86.
^ a b c d e f "Richard Arkwright II (1755-1843)" . Grange Parish Church (英語). 2025年1月16日閲覧 。
^ "(Sir) Richard Arkwright (1732-1792)" . Grange Parish Church (英語). 2025年1月16日閲覧 。
^ "No. 15336" . The London Gazette (英語). 10 February 1801. p. 173.
^ a b c d e f Pine, L. G. , ed. (1939). Burke’s Genealogical and Heraldic History of the Landed Gentry including American Families with British Ancestry (英語) (16th ed.). Burke's Peerage. pp. 49–51.
^ a b c d e f Fitton, R. S. (1989). The Arkwrights: Spinners of Fortune (英語). Manchester University Press. p. 310–311. ISBN 0-7190-2646-6 。
^ Pine, L. G. , ed. (1939). Burke’s Genealogical and Heraldic History of the Landed Gentry including American Families with British Ancestry (英語) (16th ed.). Burke's Peerage. p. 1196.
^ a b Fisher, David R. (2009). "ARKWRIGHT, Richard (1781-1832), of Normanton Turville, Leics. and Sutton Hall, Derbys." . In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2025年1月16日閲覧 。
^ Williams, William Rees (1900). "Wigram, James" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 61. London: Smith, Elder & Co . p. 198.
^ a b "Peter Arkwright (1784-1866)" . Grange Parish Church (英語). 2025年1月16日閲覧 。
外部リンク