ヨハン・マリア・ファリナ
ヨハン・マリア・ファリナ (Johann Maria Farina ,1685年 12月8日 ・サンタ・マリーア・マッジョーレ - 1766年 11月25日 ・ケルン )はイタリア人 の香水 職人であり、「オーデコロン 」の開発者。イタリア語 名はジョヴァンニ・マリーア・ファリーナ (Giovanni Maria Farina)。
人物
1709年7月13日、ヨハン・ファリナによってケルンに世界で一番古い香水の工場が創られた。ヨハン・マリア・ファリナは彼の香水を彼の新しい故郷となったケルンに敬意をこめて『Eau de Cologne』(ケルンの水)と名付けた。彼のおかげでケルンは香水の街として世界に有名になった。そしてケルン市は、市庁舎の塔に彼の石像を設置して彼を称えた。
1734年、プロイセン 王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 に納めたのを機にヨハン・ファリナは18世紀には、ヨーロッパのほぼほとんどの宮廷にオウ・デ・コロンを納めた。ヨハン・マリア・ファリナは1708年に彼の兄弟のひとりに「私の香水は私の故郷イタリアの雨上がりの春の朝の柑橘類(オレンジ、レモン、グレープフルーツ、ベルガモット)、花、ハーブ等を思い出させます。」と手紙に書いた。
ヴォルテール やゲーテ はファリナのオウ・デ・コロンの爽やかさに感嘆した。英国のヴィクトリア 女王はケルンのこの香りが気に入り、1837年に女王に即位した年にファリナを王室御用達商人に指名した。ほとんどのヨーロッパの王室がこれに続いた。日本においては1874年 2月17日 に宮内省 の御用を承った。オウ・デ・コロンの300年の香りの歴史は今日8代目のヨハン・マリア・ファリナに受け継がれている。
ギャラリー
Letter for one of the orders of Farinas new fragrance 1716
Invoice for Eau de Cologne 1763
Townhalltower in Cologne with statue of Johann Maria Farina, left side 2.floor
Statue of Johann Maria Farina in the Cologne's Town Hall.
Johann Maria Farina
Johann Maria Farina Street on Cologne
ヨハン・マリア・ファリナのレリーフ
Casa Farina in Santa Maria Maggiore
Via G.M.Farina in Santa Maria Maggiore
ヨハン・マリア・ファリナの墓
参考文献
外部リンク