また彼の主導で児童学校が建てられ、彼の女中であったルイーゼ・シェップラー(de:Louise Scheppler)がその指導に当たった。オベリンの教育理念は「子供に対しては厳しすぎず、常に優しい好意を持って、しかし侮ることなしに(Erzieht eure Kinder ohne zuviel Strenge ... mit andauernder zarter Güte, jedoch ohne Spott.)」というものであった。彼は農業生産者のために協会を作り、近代的な農法の指導も行なった。彼の社会事業は女性の就業への道を切り拓くものでもあった。
1833年にアメリカのオハイオ州に、オベリンの名にちなんだオベリン大学が建てられ、町にも彼の名前が付けられた(英語では彼の名はジョン・フレデリック・オベリン John Frederic Oberlin [ˈoʊbəlɪn][1]と表記される)。東京の桜美林大学の名もこの大学に倣って付けられており、同校の英語名は「J. F. Oberlin University」と表記する。またバベルスベルクでは1871年よりオベリン協会が整形病院とその付属学校からなるオベリンハウスを運営している。ミュンヘンのパージング(de:Pasing)にはフリードリヒ・オベリン基金によって創設されたフリードリヒ・オベリン上級専門学校がある。