モン=ドール (Mont-Dore[1])は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ピュイ=ド=ドーム県のコミューン。しばしばル・モン=ドール(Le Mont-Dore)と呼ばれるが、これは正式名称ではない。
地理
標高1050mの地点に、中央高地最高峰ピュイ・ド・サンシーを含む火山に囲まれて、モン=ドールの村はある。ピュイ・ド・サンシーの斜面には2つの急流があり、1つはドール川(アリエ川の支流ドレ川とは異なる)、もう1つのドニュ川はドルドーニュ川に合流する。
由来
フランス革命後の国民公会時代(1792年から1795年)、コミューンはレ・バン・デュ・モンドール(Les Bains-du-Montdor)と改名させられていた[2]。
経済
モン=ドールには複数の水源があり、国内ではモン=ドールの名でボトルウォーターとして販売されている[3]。
人口統計
1962年
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1968年
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1975年
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1982年
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1990年
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1999年
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2006年
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2012年
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2135
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2243
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2216
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2329
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1975
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1682
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1464
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1329
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source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]
史跡
- カピュサンのケーブルカー - 電気で牽引されるケーブルカーとしては、国内最古の1898年に開業した。
- グラン・テルム - 新古典主義建築。
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ピュイ・ド・サンシー
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サン・パルドゥー教会
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ケーブルカー
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グラン・テルム内部
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オテル・サルシオン
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ル・モン=ドール・スキー場
温泉の歴史
町は主としてスパの町として知られている。ケルト人とローマ人は自分たちの健康のためにオーヴェルニュ山地の水を利用していた。
中世にはこうした慣習は、モン=ドールを除いて廃れつつあったが、モン=ドールでは肺やリューマチ疾患の療養に利用されていた。往来は無料であり、人々が集った。
19世紀、新たに生まれた資本主義が、自然の豊かさや、ラ・ブルブールやモン=ドールに関心を持ち、1830年代以後成長していった。カジノ、ホテルが療養施設沿いに建てられた。そこで湧く水は国内で最も無水ケイ酸を含んでおり、さらにガスと炭酸を含み、温度は38℃から44℃の間であった。
喘息、呼吸器疾患、リューマチの治療が行われた。また、鼻茸など副鼻腔炎の手当ても行われた。
頻繁にモン=ドールのスパに通った著名人には、セヴィニエ夫人、ミラボー侯爵、ジョルジュ・サンド、アルフレッド・ド・ミュッセ、シャルル・ノディエ、オノレ・ド・バルザック、アナトール・フランス、マリー・ド・オエンゾレルン=シグマランジャン、メアリー・オブ・エディンバラ、マルセル・プルースト、マリ・バシュキルツェフ、ジョルジュ・クレマンソーらがいる。
さらに、19世紀初頭、フランス王家の姫君2人がモン=ドールに滞在した。ルイ16世王女アングレーム公爵夫人と、ベリー公爵夫人である。
脚注