ミハエル・クルム(独: Michael Krumm、1970年3月19日 - )は、ドイツ人のレーシングドライバー。2024年より、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。
プロフィール
- 身長:183cm
- 体重:70kg
- 血液型:RH+A型
ドイツでのレースキャリア
1988年にドイツ国内のフォーミュラ・フォードでデビューし、2年目にはシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはドイツ・フォーミュラオペル・ロータスのシリーズチャンピオンとなった。1992年にはドイツF3、1993年にはドイツF3とイタリアF3で活躍した。ドイツF3では5回の優勝を挙げ、国際F3000選手権へのステップアップの話も浮上していたが、クルムを含む多くのドイツ若手ドライバーがドイツ・キャメルからの支援を受けていた1992年のシーズンオフに、同じくドイツ出身ドライバーであるミハエル・シューマッハがF1デビューして早々に成功を収めたことを受け、ドイツ・キャメルがシューマッハの支援に集中する方針を決定。1993年ベネトン・フォーミュラのタイトルスポンサーとなることに資金を一本化したため、スポンサー資金を失ったクルムの国際F3000選手権へのステップアップの話がとん挫してしまったと1994年のオートスポーツ誌でのインタビューで述べている。自身のほかにも、当時ドイツ・キャメルの支援を受けていた一人であるハインツ=ハラルド・フレンツェンもおそらく似た状況に陥っただろうと話し、当時のドイツ国内のスポンサー事情を吐露している。1993年11月、世界各国のF3上位選手が集結するインターF3リーグ(富士スピードウェイ)参戦のため初来日。この富士での走りが日本のレース関係者の目に留まり、翌年より日本のレースを走るきっかけとなる。
日本でのレースキャリア
1994年、トムスと契約し日本に拠点を移す。同年の全日本F3選手権では10戦中6戦で優勝を挙げ、影山正美、中野信治、道上龍、高木虎之介らを破りシリーズチャンピオンを獲得。終盤戦では童夢の松本恵二監督からオファーが届き[1]、トップカテゴリーの全日本F3000選手権へとステップアップ、その初戦で4位入賞を果たした。以後、全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権・SUPER GTなど、日本のトップカテゴリーで活躍。来日当初トムス契約ドライバーだったこともあり、JTCCおよびJGTCではトヨタワークスでの参戦だったが、1998年のドイツ・スーパーツーリング選手権[2]に日産・プリメーラで参戦したのを機に日産ワークスへ移籍した。フォーミュラでは1995年よりステラインターナショナルで走り、チームルマン、5ZIGEN、チームインパルとフォーミュラ・ニッポンのトップチームのドライバーを歴任。5ZIGEN所属時の2000年にフォーミュラ・ニッポン年間ランキング2位を獲得している。
2001年開幕時にはアメリカに渡りCARTにデイル・コイン・レーシングから参戦したが、チームがシーズン途中でCARTから撤退してしまったため日本に復帰した。2002年にはル・マン24時間レースにアウディ・R8で参戦し、総合3位を獲得。
全日本GT選手権(JGTC / 後のSUPER GT)には1995年にトヨタ・スープラでデビューし、シリーズランキングは5位、優勝1回と好成績を収めた。1996年はポルシェでスポット参戦し、1997年には後にF1ドライバーとなるペドロ・デ・ラ・ロサとのコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。1999年より日産・スカイラインGT-Rで復帰し、以後NISMOのドライバーとして活躍した。2003年には本山哲とのコンビで2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。
2009年から2011年にかけてNISMOのドライバーとしてFIA GT選手権に日産・GT-Rで参戦。2009年8月22日、23日に開催されたSUPER GT第6戦鈴鹿にブノワ・トレルイエのピンチヒッターとして参戦。スポット参戦だったが6年ぶりに本山とコンビを組んだ。FIA GT選手権を引き継いだFIA GT1世界選手権にも引き続き参戦し、2011年にはルーカス・ルーアと組んでJRモータースポーツからエントリー、参戦3年目にしてシリーズチャンピオンを獲得した[3]。
2012年は、ブノワ・トレルイエがSUPER GTと多くの日程が重なるFIA 世界耐久選手権へ参戦するためにNISMOを離脱したことから、その後釜として3年ぶりにSUPER GTのNISMOに復帰し、本山と8年ぶりにコンビを組む。また同年よりル・マン24時間に次世代車枠の“ガレージ#56”でエントリーするデルタウィングのドライバーにも起用された。
2013年9月30日に、日産GT-RのNISMOモデルでニュルブルクリンク(北コース)を7分08秒679で周回し[4]、量産市販車としての世界最速の記録を更新し、同年11月19日に行われたGT-Rの2014年モデルとNISMOモデルの発表会に出席し、日産CEOのカルロス・ゴーンと共にこの成果を発表した[5]。
2016年4月、NISMOのアンバサダーに就任すると共にニュルブルクリンク24時間レースへ参戦することが発表された[6]。
レーサー引退後
2019年、KONDO Racingのアドバイザーに就任。ニュルブルク24時間レースではピット内で一睡もせずにドライバーに無線を送り続け、総合10位及びSP9クラス9位と日本勢として久々の好成績を残したチームに貢献した[7]。
2020年からはNISMOのSUPER GT GT500クラスにおいて、本山哲と共にエグゼクティブアドバイザーを務め[8]、NISMOドライビングアカデミーの校長も務めた[9]。2022年からは、KONDO Racingのアドバイザーの立場で、スーパーフォーミュラに参戦するサッシャ・フェネストラズの通訳を務める[10]。
2024年、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。1997年以来のTOM'S復帰となった。
人物
- 来日二年目の1995年には日本語がかなり上達し、1996年終盤にはレースに関する日本語での会話を流暢に操るようになっていた。
- 食べ物の好き嫌いが激しい。プライベートでは愛犬家である。
- テレビ朝日に放送されていたバラエティ番組、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』にセバスチャン・マルティノと出演し、100万円を獲得したことがある(そのときのチャレンジ内容は、スタントカーを使う競技だった。)。100万円の使い道を尋ねられた際に流暢な日本語で「郵便局に貯金します」と答え、その容貌も相まって飯島愛に絶賛された。
- 2001年1月12日にプロテニスプレーヤーの伊達公子と婚約[11]。同年12月に東京カテドラル聖マリア大聖堂で挙式を執り行った[12]。2人でトークショーに出演するなどしていたが[13]、2016年9月に協議離婚したことを発表した[14]。離婚発表時には「円満離婚」と表現し、離婚後も親交を続けているという。2021年12月のテレビ番組の取材の際に、長年マネージャーを務めていた日本人女性と1年前に結婚したことを公表した[15]。
レース戦績
- 1988年 - ドイツ・フォーミュラフォード(レースデビュー)
- 1989年 - ドイツ・フォーミュラフォード(シリーズチャンピオン)
- 1990年 - ドイツ・フォーミュラオペル・ロータス(シリーズチャンピオン)
- 1993年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)
- 1994年
- 全日本F3選手権(TOM'S #7 TOM'S 034F/トムス034F 3S-G)(シリーズチャンピオン・6勝)
- 全日本F3000選手権<Rd.8-10>(童夢 #6 トライダンロップ童夢F104/DOME F104 MF308)(シリーズ11位)
- 1995年
- 全日本F3000選手権<Rd.3-10>(OASYS ステラインターナショナル #21 STELLAR LOLA MCS/ローラT93/50 MF308)( - 位)
- 全日本GT選手権(TOM'S #36 トヨタ カストロール スープラ/スープラ JZA80)(シリーズ5位)
- 全日本ツーリングカー選手権(TOM'S #37 エッソトーネン トヨタエクシヴ/エクシヴ ST202)(シリーズ8位)
- 1996年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(神奈川クリニック STELLAR #21/レイナード95D MF308)(シリーズ15位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.4 スポット参戦>(TAKU MOTOR SPORT #5 シャトレーゼ・ポルシェGT2/911GT-2 993)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-4>(オートテック STELLAR #35/レイナード96D MF308)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.8>(Team Le Mans #2/レイナード97D MF308)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.10>(TEAM CERUMO #11/ローラT96/52 MF308)(シリーズ16位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA Castrol TEAM #36 Tom's Castrol SUPRA/TOYOTA SUPRA JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 1998年
- ル・マン24時間レース・LMPクラス(総合5位)
- ドイツ・スーパーツーリング選手権 (チーム・ロズベルグ #22 ニッサン・プリメーラ/日産・プリメーラ HP11 ) (シリーズ9位)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.2-10>(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ5位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 ARTA ゼクセル スカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ6位)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ2位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 カストロール ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ8位)
- 2001年
- CARTチャンプカー(シリーズ31位)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード01L MF308)(シリーズ7位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ヒロト GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ5位・1勝)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1,2>(XBOX TEAM IMPUL #2/レイナード99L MF308)(シリーズ - 位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
- ル・マン24時間レース・LMP900クラス(総合3位)
- 2003年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
- 2004年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ9位・1勝)
- 2005年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ5位)
- 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT→VK45DE)(シリーズ4位)
- 2007年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #20/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ10位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ5位)
- 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ7位)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス<Rd.6>(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)
- 2010年 - FIA GT1世界選手権(SUMO POWER GT #23 NISSAN GT-R)
- 2011年 - FIA GT1世界選手権(JR Motorsport #23 NISSAN GT-R)(シリーズチャンピオン)
- 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
フォーミュラ
ドイツ・フォーミュラ3選手権
全日本フォーミュラ3選手権
マカオグランプリ
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
ツーリングカー
全日本ツーリングカー選手権
ドイツ・スーパーツーリング選手権
(key)
グランドツーリングカー
全日本GT選手権/SUPER GT
FIA GT選手権
(key)
FIA GT1世界選手権
スポーツカー
FIA 世界耐久選手権
(key)
ル・マン24時間レース
アメリカン・オープンホイール
CART
(key)
著書
脚注
外部リンク
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全日本F3選手権 |
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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スーパーフォーミュラ・ライツ |
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フォーミュラ・リージョナル ジャパニーズ・チャンピオンシップ |
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全日本GT選手権 |
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SUPER GT |
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- 194 - 95年まではGT1クラス。
- 294 - 95年まではGT2クラス。
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FIA GT選手権 |
GT1クラス →GTクラス →GT1クラス | |
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GT2クラス →N-GTクラス →GT2クラス | |
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FIA GT1選手権 | |
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FIA GTシリーズ →ブランパンスプリントシリーズ →ブランパンGTシリーズスプリントカップ →ブランパンGTワールドチャレンジヨーロッパ →GTワールドチャレンジ・ ヨーロッパ・スプリントカップ |
Proカップ →総合 | |
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シルバーカップ →ゴールドカップ | |
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Pro-Am トロフィー →Pro-Amカップ →シルバーカップ | |
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ジェントルマン トロフィー →Amカップ →ブロンズカップ | |
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GT500 | |
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GT300 |
- 3: NDDP RACING(星野一樹/高星明誠/ウォルフガング・ライプ(Rd.5))
- 10: GAINER(アンドレ・クート/千代勝正(Rd.1-2,4-5,7-8)/富田竜一郎(Rd.2,3,5,6))
- 30: apr(小泉洋史/岩崎祐貴/影山正美(Rd.2))
- 47: DIJON RACING(Rd.4,8)(柴田優作/湯澤翔平(Rd.4)/井上恵一(Rd.8))
- 48: DIJON RACING(高森博士/田中勝輝/柴田優作(Rd.2,5))
- 360: TOMEI SPORTS(吉田広樹/田中篤(Rd.1-2,4-5,7,8)/成澤正人(Rd.2,5-6))
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