一方、1900年代に顕在化するアメリカでの排日問題に対して、日本及び日本人に関する論稿を新聞雑誌に投稿し、日系移民と現地の人々とのトラブルには調停に努めるなど日本とハワイとの友好親善にも貢献した[1]。なお、1913年3月にはニューヨークのジャパン・ソサエティに模して設立された「布哇日本協会 Japan Society of Hawaii」の会長に指名され就任していた[2]。
^ハワイの新聞報道に依る。「日本教育界の大恩人/スコット老教授/今朝七時半遂に逝去/我が国師範学校創設者/享年七十八歳」『日布時事 The Daily Nippu Jiji』紙、1922年5月3日。あるいは、"M. M. Scott, Educator of Hawaii and Japan, Dies - Principal Emeritus of McKinley High School Passes After Illness of Six Weeks," The Honolulu Advertiser, Thursday, May 4, 1922.