第8代ブレッツォのシンジョン男爵(英語版)ポーレット・セント・アンドリュー・シンジョン(英語: Paulet St Andrew St John, 8th Baron St John of Bletso、1711年 – 1714年5月10日)は、イングランド貴族。
生涯
第4代準男爵サー・セント・アンドリュー・シンジョンとアン・ジェームズ(Anne James、1689年 – ?、サー・ウィリアム・ジェームズの娘)の息子として、1711年に生まれた[1]。父の死後に生まれたため、出生と同時に(ブレッツォの)準男爵の爵位を継承した[1]。
1711年10月5日に遠戚の第3代ボリングブルック伯爵ポーレット・シンジョン(第3代ブレッツォのシンジョン男爵オリヴァー・シンジョン(英語版)に辿っての分流)が死去すると、ボリングブルック伯爵の爵位は断絶したが、従属爵位のブレッツォのシンジョン男爵はポーレット・セント・アンドリュー・シンジョンが継承した[1]。領地も継承したものの、当然ながら自身では管理できず、母や叔父たちが管理にあたった[2]。
1712年5月、わずか1歳にも満たない若さにもかかわらず、12歳まで成長する前提で縁談が進んでいたという[2]。
1714年5月10日、おそらく3歳にも満たないまま死去[2]、叔父ウィリアムが爵位を継承した[1]。
出典