ホレス・シルヴァー(Horace Silver、本名:Horace Ward Martin Tavares Silva、1928年9月2日 - 2014年6月18日)は、コネチカット州ノーウォーク出身のジャズ・ピアニストである。ジャンルはファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズ、ハード・バップなどだった。ファンキーかつソウルフルなプレイスタイルで知られた。
彼の音楽性はブルース、ソウル/R&B、ゴスペル音楽、アフリカ音楽など幅広い音楽に影響されていた。
バイオグラフィ
アフリカ系ポルトガル人であるカーボベルデ人の父にアイルランド人とアフリカ系の混血の母を持つカーボベルデ系アメリカ人の出身である。幼少期からピアノを始め、クラシック音楽も学んだ。シルヴァーの父親は、息子にカーボベルデの音楽を教えた。[2]
初期はサックス奏者であったが、後にピアノに切り替えた。バド・パウエル[3]に強く影響を受けた。コネチカット州ハートフォードのクラブでスタン・ゲッツと出会う。ニューヨークに移りアート・ブレイキーと組む。1952年と1953年に自己のトリオにブレイキーなどを加えたセッションを録音する。ブレイキーとの共演は4年間も続き、この間に名トランペッター、クリフォード・ブラウン[4]を含めたカルテットでアルバム『バードランドの夜』をバードランドにて録音。油井正一は、シルヴァーの曲「シスター・セイディ」を、アーメン・ナンバーと形容した。
1956年にはブレイキーから離れ、自己のハード・バップ・クインテットを作る。ブルーノート・レコードに『ソング・フォー・マイ・ファーザー』(1964)など多くのアルバムを残す。この時代に日本への印象を描いたアルバム『ザ・トーキョー・ブルース』を発表している。
1970年代後半にブルーノートは活動を休止する。シルヴァーは自分の音楽性を他レーベルに理解してもらえなかったために、1981年に短期間であったが自己レーベル、シルヴェートを作った。1990年代に入り、トミー・リピューマにより再興されたインパルス!レコードに移籍、マイケル・ブレッカーやランディ・ブレッカー[5]、ロン・カーターらと共演している。
2014年6月18日、アメリカ、ニューヨーク州ニューロシェルの自宅にて死去[6]。85歳没。
代表的な曲
- 「ソング・フォー・マイ・ファーザー」 - "Song for My Father"
- "シスター・セイディ"
- "ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ"
- "Lonely Woman"
- "The Preacher"
- "Opus de Funk"
- "Safari"
- "Quicksilver"
- "The Dragon Lady"
- "Horacescope"
ディスコグラフィ
アルバム
出典
外部リンク
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スタジオ・アルバム | |
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ライヴ・アルバム | |
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主な楽曲 | |
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関連項目 | |
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