ペルー南部鉄道の客車
最高点ラ・ラヤまたはその近辺の海抜4000m地帯
ペルーの鉄道 は、ペルー共和国 の鉄道 について記す。
歴史
1851年 、首都リマ とその郊外の港湾都市カヤオ の間に最初の鉄道 が開通した。これは、南米 で初めての鉄道 であった。その後、1894年 にカヤオ からラ・オロヤ までアンデス山脈 を越えるペルー中央鉄道 が開通するなど、路線網を伸ばした。主要路線の運営は、かつてはペルー国鉄(Empresa Nacional de Ferrocarriles SA, ENAFER)が行っていた。ペルー国鉄は1990年 まで黒字だったが、その後収支が急激に悪化し、1999年 、路線の所有は国鉄のまま30年間のコンセション(公設民営化)によって運行が民営化 された。
事業者
路線
ペルー中央鉄道
カヤオ - リマーラ・オロヤ - ワンカーヨ 間332km (軌間1435mm)かつて旅客列車が走っていたが、現在は休止(但し、観光シーズンのみ月に一往復程度で旅客列車が運行されている)。
ラ・オロヤ - Cerro de Pasco間118km (軌間1435mm)
ワンカーヨ - Huancavelica間127km (軌間914mm) 旅客列車が運行している。
ペルー南部鉄道 (軌間1435mm)
ペルー南東鉄道 (軌間914mm)
クスコ(ポロイ) - オリャンタイタンボ - マチュ・ピチュ (アグアスカリエンテス)間107km 旅客列車が運行されている。
オリャンタイタンボ - ウルバンバ間43km
※旧国鉄の主要な路線のみ。他に支線や鉱山公社・民間鉱山会社運営の路線があるが、いずれも貨物列車のみ、現在の運行状況は不明である。
運行
旅客列車の運行は縮小傾向にある。かつて中央鉄道のリマ - ワンカー ヨ間、南部鉄道のアレキパ - フリアカ - プーノ 間で定期旅客列車が運行されていたが、アレキパ - フリアカ 間は2002年 頃、中央鉄道はそれより以前の国鉄時代に旅客列車の運行が休止されている。また、南東鉄道はかつてクスコ からマチュ・ピチュ (アグアスカリエンテス)を経てキジャバンバ まで約120kmを結んでいたが、マチュ・ピチュ からキジャバンバ までの約20kmは、1990年代 末に崖崩れなどのために廃線 となった。
現在定期旅客列車が運行されているのは、(1)南部鉄道のクスコ - フリアカ - プーノ 間、(1)南東鉄道のクスコ - マチュ・ピチュ 間、(3)北部のワンカーヨ - Huancavelica間、(4)南部のタクナ - アリカ 間だけである。これらの列車の運行は、(1)、(2)はオリエント急行 を運行するベルモンド とペルー資本の合弁によるペルー・レイル 、(2)はENAFER、(3)はENAPUが運行を行っている。
クスコ - フリアカ - プーノ 間は、以前は毎日1往復運行されていたが、2006年 現在は週3往復である(ただし、4月 から10月 は週4往復)。上下とも朝8時発、17時30分着の所要9時間30分となっているが、あくまで時刻表上であり、実際には大幅の遅延が常態となっている。実際の所要時間は12時間から14時間である。
クスコ - マチュ・ピチュ (アグアスカリエンテス)間は、1日3〜4往復が全区間を運行している。また、途中のオリャンタイタンボ からマチュ・ピチュ までは自動車道がなく、鉄道が唯一の交通機関であるため、この区間のみの区間運転も数往復ある。所要時間は片道3時間半前後。
アレキパ - フリアカ - プーノ 間は、現在定期旅客列車は運行されていないが、40人以上の団体客または個人のチャーター便があれば運行するとペルーレールのホームページ (後述)に記載がある。
タクナ - アリカ 間は気動車 を使用した国際旅客列車が運行されている。
最高地点
2006年 にチベット の青蔵鉄道 が開通するまで、鉄道 の世界最高地点はペルー の鉄道 にあった。最高地点は、中央鉄道カヤオ - ラ・オロヤ 間の本線で海抜4781m、支線で4818m。南部鉄道のアレキパ - フリアカ 間のコルカ で海抜4470m。ただし、いずれも現在は定期旅客列車の運行がない。定期旅客列車の走る最高地点は、クスコ - フリアカ 間のほぼ中間点に位置するラ・ラヤ で海抜4319mである。
隣接国との鉄道接続状況
関連著作物
宮脇俊三 著『汽車旅は地球の果てへ』 同著中、「アンデスの高山列車」の章は、1984年9月に著者がペルー国鉄のクスコ〜マチュ・ピチュ、クスコ〜プーノ、リマ〜ワンカーヨに乗車した際の紀行文である。
関連項目
外部リンク
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