プラムボブ作戦スモーキー実験
プラムボブ作戦フィズー実験
プリシラ実験のキノコ雲 。実験では、爆発の影響を調べるために700匹以上のブタが使われた。
プリシラ実験から30分後に13,000mまで昇ったキノコ雲
フード実験の爆発写真。爆発の衝撃波は480km離れたカリフォルニア まで伝わり、爆発の閃光は1,280km離れたハワイ 上空を飛ぶ飛行機からも見えた。
フード実験で発生したキノコ雲は、14,700mの高さまで立ち上った。また爆発で発生した熱線は、4.8km離れた草地を発火させた。
ストークス実験の衝撃波で墜落した、アメリカ海軍 の飛行船 。この飛行船は実験の効果を計測するため、爆心地 から8km以上離れて浮いていたが、爆発の衝撃波で墜落した。
プラムボブ作戦 は、1957年の5月28日から10月7日の間にネバダ核実験場 (NTS:Nevada Test Site )で実施された核実験 である。本作戦はレッドウィング作戦 に続いて実施されたもので、本作戦に引き続いてはハードタックI作戦 が実施された。本作戦は、アメリカ合衆国本土 内で実施された中で最も大規模で、最も期間の長い核実験である。
背景
本作戦は、6つのシリーズからなる29回の実験から構成されたが、このうちの2回は安全性のテストのため核爆発 を伴わないものであった。本実験には、21の研究機関と政府機関が関係していた。作戦で実施された多くの実験は、ICBM とIRBM 用核弾頭 の開発に貢献し、また防空用と対潜水艦 用の小型核兵器 のテストも行われた。また実験では、民間用と軍用の構造物による43種の効果実験も行われ、放射線と生物学 的影響の調査、及び航空機 の構造についてのテストも行われた。また塔上での実験では、米国 内で行われたもので最も高い塔を使用して実施された(この高さは気球 を使用した実験と同等である)。また1つの核実験としては、最も多数の兵士 が参加した実験も行われた。
プラムボブ作戦では、生物学的な影響を調査するため、およそ1,200匹のブタ が使われた。作戦中の”プリシラ”実験では、719匹のブタが様々な影響を調べるために使われた。そのうちの何匹かは、異なる材料で造られた服を着せられ、高い位置に置かれた檻 に入れられた。この服は、爆発の熱線を防御できる材料の検証のために造られた。他のブタ達は、浮遊粒子 の影響を調べるため、ガラス 製のシートの前に置かれた檻の中に入れられた。
作戦には、アメリカ空軍 、アメリカ陸軍 、アメリカ海軍 、及びアメリカ海兵隊 からおよそ18,000人の兵士が”デザート・ロックVII、VIII”演習として参加した。軍は、戦術核の使用を仮定した厳しい状況下での兵士の物理的、心理的行動能力を知りたがっていたのである。
兵士達は、偶発的な核爆発を仮定した、放射性物質 と放射性降下物 の中を作戦行動させられたのである(併せて地面の震動と爆風の程度、及び中性子 の放出に関するプロジェクトが実施された)。
核兵器の安全性に関する実験は、偶発的に核兵器が爆発する可能性について調査された。1957年7月26日に安全性の実験として、”パスカルA”が塞がれていない穴の中で実施されたが、これは縦坑 を使用した最初の核実験となった。この実験で得られたデータは、偶発的な核爆発(例えば航空事故 )時の核出力を抑制させるために利用された。
1957年9月19日に実施された”レイニア”は、完全に塞がれた地下での最初の実験であり、これは大気中に放射性物質が何も放出されなかったことを意味する。1.7キロトンの核出力 であった本実験は、一般の地震計 を使用した地震学 により、世界中で検出された。レイニア実験は、より大規模で強力な地下核実験のためのプロトタイプ となった。
放射性降下物
プラムボブ作戦では、58.3メガ キュリー (2.16エクサ ベクレル )のヨウ素131 が大気中に放出された。これは、全ての一般市民の甲状腺 組織が、合わせて120メガラド の放射線に晒されたことを意味する(この量は、米国内で実施された全ての核実験の32%に相当する)。統計的に言えば、この放射線量は38,000人に甲状腺ガン を発生させ、そのうちの1,900人を死に至らしめるものである。しかしながら、本実験による一般市民への影響を長期間調べたデータは存在しない。
一般市民への影響に関して付け加えると、兵士達が爆発の近くで作戦行動を行った”スモーキー”実験では、3,000人以上の軍人が比較的高レベルの放射線に晒された。この時の軍人に対する1980年の調査では、彼らの白血病 の発生率が明らかに高いことが判明した。
実験の詳細
プラムボブ作戦でおこなわれた各実験の詳細を以下に示す。
プラムボブ作戦の詳細
実験名
実施日 (GMT )
実施場所
核出力
備考
ボルツマン (Boltzmann)
1957年05月28日11:55
NTS エリア7c
12キロトン
塔上(152m)での実験
フランクリン (Franklin)
1957年06月02日11:55
NTS エリア3
0.14キロトン
塔上(91m)での実験(不完全核爆発 )
ラッセン (Lassen)
1957年6月5日11:45
NTS エリア9a
0.5キロトン
気球(152m)による実験
ウィルソン (Wilson)
1957年6月18日11:45
NTS エリア9a
10キロトン
気球(152m)による実験
プリシラ (Priscilla)
1957年6月24日13:30
NTS エリア5
37キロトン
気球(213m)による実験
コロムA (Coulomb-A)
1957年7月1日17:30
NTS エリア3h
0
地表(0m)での実験(安全性の検証実験)
フード (Hood)
1957年7月5日11:40
NTS エリア9a
74キロトン
気球(457m)による実験。米国内で実施された最大の大気中爆発で、単段階核爆弾 ではなく2段階の熱核爆弾の実験だった。
ディアブロ (Diablo)
1957年7月15日11:30
NTS エリア2b
17キロトン
塔上(152m)での実験
ジョン (John)
1957年7月19日14:00
NTS エリア10
2キロトン
AIR-2 空対空ミサイル (5,600m)を使用した実験
ケプラー (Kepler)
1957年7月24日11:50
NTS エリア4
10キロトン
塔上(152m)での実験
オゥンズ (Owens)
1957年7月25日13:30
NTS エリア9b
9.7キロトン
気球(152m)による実験
パスカルA (Pascal-A)
1957年7月26日08:00
NTS エリア3j
ごく少し
地下(-147m)での実験(安全性検証のための実験)
ストークス (Stokes)
1957年8月7日12:25
NTS エリア7b
19キロトン
気球(457m)による実験
サターン (Saturn)
1957年8月10日01:00
NTS エリア12c
0
地下(-30m)での実験(安全性検証のための実験)
シャスタ (Shasta)
1957年8月18日12:00
NTS エリア2a
17キロトン
塔上(152m)での実験
ドップラー (Doppler)
1957年8月23日12:30
NTS エリア7
11キロトン
気球(457m)による実験
パスカルB (Pascal-B)
1957年8月27日22:35
NTS エリア3c
ごく少し
地下(-152m)での実験(安全性検証のための実験)
フランクリン・プライム (Franklin Prime)
1957年8月30日12:40
NTS エリア7b
4.7キロトン
気球(228m)による実験
スモーキー (Smoky)
1957年8月31日12:30
NTS エリア8
44キロトン
塔上(213m)での実験
ガリレオ (Galileo)
1957年9月2日12:40
NTS エリア1
11キロトン
塔上(152m)での実験
ホイーラー (Wheeler)
1957年9月6日12:45
NTS エリア9a
0.197キロトン
気球(152m)による実験
コロムB (Coulomb-B)
1957年9月6日20:50
NTS エリア3g
0.30キロトン
地表(0m)での実験(安全性検証のための実験)
ラプレース (Laplace)
1957年9月8日13:00
NTS エリア7b
1キロトン
気球(228m)による実験
フィズー (Fizeau)
1957年9月14日16:45
NTS エリア3b
11キロトン
塔上(152m)での実験
ニュートン (Newton)
1957年9月16日12:50
NTS エリア7b
12キロトン
気球(457m)による実験
レイニア (Rainier)
1957年9月19日16:59
NTS エリア12
1.7キロトン
トンネル内(-274m)での実験(米国内で初めての地下核実験)
ホイットニー (Whitney)
1957年9月23日12:30
NTS エリア2
19キロトン
塔上(152m)での実験
チャールストン (Charleston)
1957年9月28日13:00
NTS エリア9
12キロトン
気球(457m)による実験
モルガン (Morgan)
1957年10月7日13:00
NTS エリア9
8キロトン
気球(152m)による実験
打ち上がった鋼蓋
「パスカルB」実験中に、900キログラムの鋼の蓋(装甲板の一部)が毎秒66キロメートル以上もの速度で実験縦坑 の上空へと打ち上がった。実験前、実験考案者のロバート・R・ブラウンリー博士(Dr. Robert R. Brownlee )は、縦坑の特殊な設計と核爆発が組み合わさることで、蓋が脱出速度の6倍にまで加速されうるという高精度な近似計算を行った[ 1] 。結局この蓋は発見されなかった。しかしブラウンリー博士は蓋が大気圏 外までは脱出していないと信じていた(それほどの高速では衝突した大気の断熱圧縮 による空力加熱 によって気化 してしまう)。事前に算出された速度が大変興味深かったため、実験チームは蓋をハイスピードカメラ で捉えようと試みた。実験後、蓋が記録されていたのはわずか1フレームのみであったが、しかしこれは速度の下限値が非常に高いことを示していた。ブラウンリー博士は実験後、「こうもり みたいに行った」("going like a bat")と述べている[ 2] [ 3] 。これ以来、地下坑と核爆発装置を利用して脱出速度まで物体を推進させることを「サンダーウェル(thunder well = 轟雷の縦穴、雷の井戸)」と呼ぶようになった。
脚注
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
プラムボブ作戦 に関連するメディアがあります。
外部リンク
単位 測定 放射線の種類 物質との相互作用 放射線と健康
法律・資格 関連