ブラッド・バード(Brad Bird、1957年9月24日 - )は、アメリカ合衆国のモンタナ州カリスペル生まれの映画監督、脚本家、アニメーション作家。
アニメーション映画『アイアン・ジャイアント』で映画の初監督を担当し、長編アニメーション部門で『Mr.インクレディブル』『レミーのおいしいレストラン』の2作品がアカデミー賞を獲得。
来歴
11歳から13歳にかけて初めてのアニメーション作品を制作する。14歳の時、その作品がウォルト・ディズニー・スタジオに注目され、同スタジオにてアニメーション制作の指導を受ける[1]。このときバードを指導したのがナイン・オールドメンの1人であるミルト・カールであり[1]、バードは彼を師匠と仰いでいる。その後、カリフォルニア芸術大学に入学、アニメーションを学ぶ。またここで、後にピクサーの監督となるジョン・ラセターと出会っている。
卒業後、ディズニーに就職するが短い期間しか在籍せず、1981年に公開された『きつねと猟犬』の制作に関わったのち退職する[1][2]。その後、テレビドラマの監督や映画脚本などを手がけている。また一時期、アンブリン・エンターテインメントに所属しており、『世にも不思議なアメージング・ストーリー』『ニューヨーク東8番街の奇跡』の制作にも関わっている。
1989年、『ザ・シンプソンズ』の制作プロダクションであるクラスキー・シスポに席を置き、『ザ・シンプソンズ』の第1シーズンに演出家として携わる[2]。数年間『ザ・シンプソンズ』や、その他のテレビアニメ制作においてエグゼクティブ・コンサルタントとして従事する[1]。
初監督映画作品『アイアン・ジャイアント』を制作するため、ワーナー・ブラザースに移籍[1][2]。この作品は評論家から絶賛されたが興行的には成功せず、その後『Mr.インクレディブル』の制作に移る。当初この作品はワーナー・ブラザース製作の2Dアニメーション作品として進められていたが、ワーナー・ブラザースのアニメーション部門凍結により、制作が頓挫する。そこへ旧友ジョン・ラセターから誘いがあり、ピクサーに迎えられたブラッド・バードは3DCGアニメーション作品として『Mr.インクレディブル』の制作を再開、2004年に公開される。この作品は第77回アカデミー長編アニメ賞を受賞[3]し、アニー賞では全10部門制覇を成し遂げた[4]。
2007年に公開されたピクサー作品『レミーのおいしいレストラン』では降板したヤン・ピンカバに代わって急遽監督を引き継いだ。すでに出来上がっていたキャラクターデザインや脚本を大幅に改訂して制作した本作は第80回アカデミー長編アニメ賞[5]、2007年度のアニー賞[6]を受賞した。その後、1906年に発生したサンフランシスコ地震を題材にした実写長編作品『1906』(ワーナー・ブラザースとディズニー/ピクサーによる共同製作)の制作に取り掛かるも、予算面で制作が中断。トム・クルーズ製作・主演の『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の監督オファーを受け、自身初の実写映画監督作品となった[7][8]。
2009年の第66回ヴェネツィア国際映画祭で、ジョン・ラセター、ピート・ドクター、アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチと共に、アニメ映画への多大な貢献を評価され栄誉金獅子賞を受賞した[9]。
フィルモグラフィ
実写映画
アニメ映画
アニメシリーズ
その他
年
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題名
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種
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備考
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1991
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Do the Bartman |
MV |
『ザ・シンプソンズ』の派生シングル。 監督
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2005 |
ジャック・ジャック・アタック! Jack-Jack Attack |
OVA |
監督・脚本
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出演
実写映画
年
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題名
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役名
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1985 |
世にも不思議なアメージング・ストーリー Amazing Stories |
科学者
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アニメ映画
年
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題名
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役名
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2004 |
Mr.インクレディブル The Incredibles |
エドナ・モード
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2007 |
レミーのおいしいレストラン Ratatouille |
アンブリスター・ミニオン
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2018 |
インクレディブル・ファミリー Incredibles 2 |
エドナ・モード
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ジャック・ジャックとエドナおばたん Auntie Edna
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関連項目
脚注
外部リンク
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1998 - 2000年 | |
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2001 – 2020年 | |
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2021 – 2040年 | |
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