当時砂糖は1ポンド (0.45 kg) あたり6.5ペニーと高価だったため、ニールは砂糖の代用として1ポンドあたり0.5ペニーで手に入るダフ(daff)あるいはダフトと呼ばれていた粉状の石膏を混ぜていた[5][4][6]。当時、食品の材料として、安価な代用食品を添加することが一般的に行われており、そう言った粗悪品を作る業者は材料をダフ(daff)、マルタム(multum)、フラッシュ(flash)、スタッフ(stuff)などの曖昧な名前で呼ぶことで分かりにくくしていた[7][8]。
混入事故
1858年10月30日、ニールは、ハーダカーに売るハンバグの材料のダフを入手するため、彼の家に下宿していたジェームズ・アーチャー(James Archer)を、ベイルドン・ブリッジから3キロメートルほど離れたシプリー(英語版)の薬屋であるチャールズ・ホジソン(Charles Hodgson)のところに行かせた[9]。そのときホジソンは店にいたものの、病気のため若い助手のウイリアム・ゴダード(William Goddard)がアーチャーの対応をした[2][10]。ゴダードがホジソンにダフの場所を尋ね、ホジソンは屋根裏の隅の樽の中にあると答えた[8]。その際にゴダードはダフではなく12ポンド (5.4 kg) の三酸化二ヒ素をアーチャーに渡してしまった[6]。
ニールが雇った「お菓子づくりの経験者」[2]ジェームズ・アップルトン(James Appleton)が菓子を製造し、その間その間違いには気づかなかった。しかし完成したハンバグがいつもと違う見た目であることに気づいた。また、味見をしたため[11]、お菓子作りの最中からその後数日間、嘔吐や腕の痛みの症状に苦しんだが、それが毒によるものであることには気づかなかった[12]。ハーダカーは40ポンド (18 kg) のlozengesを買い取った。その際にハーダカーも普段と見た目が違うことに気づき、それを理由にニールに値引きを要求した。アップルトン同様、最初に味見をしたハーダカーにもすぐに毒の症状が現れた。
しかし、ハーダカーはその日の晩に5ポンド (2.3 kg) のお菓子を販売した[注釈 2][2]。お菓子の購入者のうち、21人が死亡し、200人以上がその日のうちにヒ素中毒となった。
この悲劇に対し激しい抗議が起こり、異物混入食品法(Adulteration of Food and Drink Act)[15]、薬事法(英語版)成立の主要な要因となった。これにより、指定された毒物の取り扱いと販売には、化学者または薬剤師の資格が必要となった(当時すでに医学者は公式に認められていた)。また、この時必要となった購入者の署名とそれを保持する要件は、現代の不純食品取締法(英語版)の非薬物である毒物(non-medicinal poisons)にも受け継がれている。後の 1868年 - 1874年のウィリアム・グラッドストン内閣は、この事件を受けて食品への粗悪品混入を規制する食品及び薬品の販売法(The Sale of Food and Drugs Act)[16]を制定した。
Holloway, S. W. F. (1991). Royal Pharmaceutical Society of Great Britain 1841–1991: A Political and Social History. London: Pharmaceutical Press. pp. 221–230. ISBN978-0-853-69244-7
Jones, Ian F. (2000). “Arsenic and the Bradford poisonings of 1858”. The Pharmaceutical Journal (en) 265 (7128): 938–993.
Rivington, J. G.; Rivington, F. (1859). The Annual Register, Or, A View of the History and Politics of the Year 1858. London: Longman
Sheeran, George (1992). The Bradford Poisoning of 1858. Halifax: Ryburn. ISBN978-1-853-31033-1
Sn, SN (1858). “Wholesale poisoning by arsenic at Bradford”. The Pharmaceutical Journal and transactions (en) (Jacob Bell and Pharmaceutical Society of Great Britain) 18: 340–342. "https://www.safetylit.org/citations/index.php?fuseaction=citations.viewdetails&citationIds[]=citjournalarticle_697992_13"