フランス領ポリネシア
Polynésie française Pōrīnetia Farāni
フランス領ポリネシア (フランスりょうポリネシア、フランス語 : Polynésie française )は、南太平洋 にあるフランス の海外共同体(Collectivité d'outre-mer 、略してCOM:英語:overseas collectivity、海外準県 )であり、その中でも海外領邦(仏語:Pays d'outre-mer 、略してPOM:英語:Overseas Country)という特別な地位を有している。ポリネシア のいくつかの諸島からなる。
ソシエテ諸島 のタヒチ島 は、リゾート 地として最も有名な島で、フランス領ポリネシアの中心地でもある。タヒチの面積は1,608km2 の火山島でオロヘナ山(2,237m)が最も高い山。人口も最大であり、行政所在地パペーテ がある。コプラ 、ノニ(ヤエヤマアオキ )、真珠 母貝、黒蝶貝 真珠(黒真珠)、バニラ 、果汁、マグロ などを産出する。
歴史
ヨーロッパ人の侵入以前
現在のフランス領ポリネシアに最初に人類が到達した時期については諸説あるが、5世紀 から8世紀 頃にはトンガ やサモア などの西ポリネシア から航海カヌー でやってきたポリネシア人 たちが、この海域の島々を次々に発見し、定住していったと考えられている。
現在、それらの島々の中でも最も早く発見・植民されたと考えられているのはマルケサス諸島 である。古代のポリネシア人たちはマルケサス諸島を東ポリネシア海域の根拠地とし、ここからイースター島 やハワイ諸島 、タヒチ島、トゥアモトゥ諸島 、ニュージーランド などに拡散していったとの見方が、今のところ最も有力である。
ヨーロッパ人の来航
1595年 にスペイン 人のアルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ が南米 のペルー から出航し、マルケサス諸島 の4島に次々に上陸した。1606年 にはポルトガル の航海者がトゥアモトゥ諸島 のハオ島に到着している。タヒチ島には、1769年 イギリス の航海者サミュエル・ウォリス がヨーロッパ人として初めて来航した。続いて1786年 にはフランス 人のルイ・アントワーヌ・ブーゲンビル がタヒチ島を訪れており、1769年 にはジェームズ・クック もタヒチ島に訪れている。ちなみに、日本人が初めて来航したのは、1804年 、津太夫 らの漂流者4人がロシアのナジェジタ号でマルキーズ(マルケサス)諸島に碇泊した時である。
バウンティ号の反乱
1788年 にクックの元航海長だったウィリアム・ブライ 船長のバウンティ号 が、西インド諸島 の奴隷 の安い食料品としてパンノキ 採集のためにタヒチ島に訪れている。しかし、そこでバウンティ号の反乱 事件が起きる。
パンノキを採取し、タヒチ島から西インド諸島のジャマイカ へ向かう途中、航海士フレッチャー・クリスチャン を始めとする、ブライ船長のやり方に対して不満を持っていた十数人の乗組員が太平洋上で反乱を起こしたのである。彼ら反乱者達はバウンティ号を乗っ取って、タヒチ島に戻り、そこでタヒチ人の男女数人を連れてゆき、誰にも見つからない、どこか遠くの無人島に住み着こうとし、1790年 に無人の孤島ピトケアン島 にたどり着き、住み着いた。
フランスによる植民地化
タヒチ島は1791年 頃よりポリネシア系のポマレ王朝 によって支配されてきたが、1842年 に女王ポマレ4世 がフランスの圧力に屈し、タヒチ島とモーレア島 をフランスの保護領とする条約に署名。1880年 のポマレ5世 の主権譲渡への署名によりタヒチ島はフランスの植民地となり、以降、フランスは本格的にタヒチ島に進出していった。
第二次世界大戦 中にフランス本国がナチス・ドイツ に占領されると、自由フランス 側につき、連合国 に協力した。
1949年 にフランス海外領土に昇格し、1957年 に大幅な自治権を獲得。
一時自治権の拡大により国連非独立地域リスト から削除されたが、ナウル 、ツバル 、ソロモン諸島 によって国連総会に提案され、2013年 5月18日 に再びリストに掲載されることが決議された。
核実験と住民らへの補償
ムルロア環礁 とファンガタウファ環礁 は、フランスの核実験場 となり、1966年 から1996年 まで193回(空中実験と地下実験を合わせて)行われた。
フランス政府は核実験の安全性を説明してきたが、2010年 に核実験の被ばくによる健康被害を認めて被害者に補償する法律を施行。しかし2016年時点で、約1000件の申請のうち補償が認められたのは約20件と僅かにとどまった。同年、フランソワ・オランド 大統領がポリネシアを訪問した際には、被害者への補償を見直すことを表明した[ 3] 。
2013年にフランス政府が機密解除した核実験関連文書によれば、1974年に行われた核実験「サントール」だけでも、当時のフランス領ポリネシアのほぼ全人口に相当する約11万人が汚染されていたと推定されている[ 4] 。
地理
フランス領ポリネシアの各諸島
フランス領ポリネシアには121の島があり、うち75の島に人が住んでいる[ 5] 。総面積は4,167km2 (石川県 とほぼ同じ)で、250万km2 の範囲の海域に多数の島が散らばっている。フランス領ポリネシアに含まれる島はソシエテ諸島 (タヒチ島、モーレア島 、テティアロア島 、フアヒネ島 、ライアテア島 、タハア島 、ボラボラ島 、マウピティ島 、ツパイ島 など)、オーストラル諸島 (トゥブアイ諸島 、バス諸島 (英語版 ) )、トゥアモトゥ諸島 (ムルロア環礁 など)、ガンビエ諸島 、マルキーズ諸島 (マルケサス諸島)である。かつて含まれていたクリッパートン島 は、2007年2月22日からフランス政府の直接統治下に入った。
キリバス のライン諸島 とは同じ標準時 を採用しているように見えるが、ライン諸島がUTC+14 であるのに対し、フランス領ポリネシアはハワイ諸島 と同日同時刻のUTC-10 であるため、キリバスよりも日付が1日遅れることになる。ちなみにフランス領ポリネシアの標準時 は、日本時間 の19時間遅れ(マルキーズ諸島のみ18時間半遅れ)、フランス本国の11時間(本国が夏時間のときは12時間)遅れである。
政治
フランス領ポリネシア議会
大統領の代理人として、高等弁務官 (英語版 ) が配置されている。行政執行については自治大統領 (英語版 ) 率いる閣僚評議会が担っている。フランス領ポリネシアは三人の議員 を国民議会 (下院 )に送り、一人目はパペーテと北東郊外の2コミューンを、二人目はモーレア島 、ガンビエ諸島 とマルキーズ諸島 の全体を、三人目はリーワード諸島 とパペーテの南東郊外の全体を代表している。フランス領ポリネシアはまた、元老院 (上院 )に二人の議員を派遣している。防衛はフランス軍 が行う。
住民
2017年 の国勢調査によると、住民の89.0%がフランス領ポリネシア出身、8.1%がフランス本土出身、1.2%がその他のフランス海外県ないし海外領土出身、1.7%が外国出身となっている[ 6] 。また、タヒチ1島だけで全人口の69%を占める。首府パペーテの都市圏は13万6,771人の住民を有している[ 7] 。
言語
公用語はフランス語 とタヒチ語 である。
ソシエテ諸島 (タヒチ島 など)ではタヒチ語 、マルキーズ諸島 ではマルキーズ語 、トゥアモトゥ諸島 ではトゥアモトゥ語 、ガンビエ諸島 ではマンガレバ語 、オーストラル諸島 ではオーストラル語 、ラパ島 ではラパ語 が話される。
経済
フランス領ポリネシアの経済は、中程度に発達しているが、それらはフランス本土からの輸入、観光 産業、財政援助によって支えられている。観光産業はかなり発達しており、主要島のほとんどで見受けられる。
フランス領ポリネシアは世界最大の黒蝶真珠の輸出国で、世界の90%以上のマーケットシェアを誇っている。最盛期の1990年代 には年間およそ8トンから10トンの輸出量、金額にして200億円以上の輸出を記録している。黒蝶真珠の輸出には1グラムあたり200xpfの真珠輸出特別税が課せられ、多いときには20億円以上の直接税収がもたらされている。
情報・通信
放送は本国フランス共和国 の放送局フランス・テレビジョン が傘下に置く海外領土向けチャンネルのLa Première(旧RFO )がある。フランス領ポリネシアにおいてはLa Premièreのフランス領ポリネシア局のPolynésie La Première (télévision)が放送している。ほかにCanal+ の傘下にあるCanal+ Polynesie などがある。インターネットにおいてはフランス領ポリネシアに限らず本国のプロバイダ も利用される。新聞は売店などでの販売が主流。
日本との関係
国際交流基金の海外日本語教育機関調査によると、ラ・ムネ高校で1990年から日本語が教えられている。
交通
パペーテ・タヒチ国際空港 を拠点にエア タヒチ ヌイ が国際線を、エアタヒチ が域内の空路とクック諸島 への運航を行っている。国際線は本国のほか、オーストラリア 、ニュージーランド 、日本 (成田国際空港 )、アメリカ合衆国 ロサンゼルス 経由パリ などへ就航している。また、エールフランス やニュージーランド航空 、LATAM航空 (チリ )、ハワイアン航空 なども乗り入れている。
脚注
関連項目
外部リンク