フェルディナント・マリア・インノツェンツ・ヨーゼフ・ミヒャエル・フォン・バイエルン(Ferdinand Maria Innozenz Joseph Michael von Bayern, 1699年8月5日 - 1738年12月9日)は、ドイツのバイエルン選帝侯家の公子で、神聖ローマ皇帝(ハプスブルク帝国)軍の元帥。神聖ローマ皇帝兼バイエルン選帝侯カール7世の弟。
生涯
バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルと、その2番目の妻でポーランド王ヤン3世ソビエスキの娘であるテレサ・クネグンダ・ソビエスカの間の息子として生まれた。皇帝軍に仕官し、1738年に元帥となるが、その年のうちに死去した。遺骸はミュンヘンのテアティナー教会に葬られた。
フェルディナントは若い頃に恋人だったマリー・アーデルハイト・シュパウル伯爵夫人(Marie Adelheid Fortunata Gräfin Spaur, 1694年 - 1781年)との間に庶子のヨーゼフ・フェルディナント・フォン・ザーレルン伯爵(Joseph Ferdinand von Salern, 1718年 - 1805年)をもうけている。
1719年2月5日にライヒシュタット(現在のチェコ領リベレツ州ザークピ)において、プファルツ=ノイブルク家の公女アンナ・マリア(1693年 - 1751年)と結婚した。アンナ・マリアはプファルツ選帝侯カール3世フィリップの弟フィリップ・ヴィルヘルム・アウグストの娘であった。夫妻は3人の子女をもうけた。
- マクシミリアン・ヨーゼフ・フランツ(1720年 - 1738年)
- クレメンス・フランツ・デ・パウラ(1722年 - 1770年)
- テレーゼ・エマヌエーレ(1723年 - 1743年)
参考文献
- Johannes Erichsen, Katharina Heinemann (Hrsg.): Die Schlacht von Höchstädt. Brennpunkt Europas 1704. = The battle of Blenheim. Jan Thorbecke, Ostfildern 2004, ISBN 3-7995-0214-9.