ボーリングブローク
飛行するボーリングブローク Mk.IV 9030号機
(1942年撮影)
ボーリングブローク(Fearchild Bolingbroke )は、カナダのフェアチャイルド・エアクラフト(英語版)社が製造し、カナダ空軍で運用された軽爆撃機。
本機はイギリス空軍で運用されたブレニム軽爆撃機のフェアチャイルド社によるライセンス生産型である。名称の「ボーリングブローク (Bolingbroke)」は、イングランド東部リンカンシャー内の地名に由来する。
採用経緯
1935年、イギリス航空省はアンソンの後継となる沿岸偵察機兼軽爆撃機案を、仕様G.24/35として各メーカーに募集した[1]。ブリストルは高速旅客機として開発中で、この年に初飛行したタイプ142をもとに開発したタイプ142M/ブレニムMk.Iを改良したタイプ149を提案した。
タイプ149はエンジンが自社製のアクィラエンジンへと換装され、より航続距離が伸びていたが、航空省はこの提案を受け入れなかった。その代わりに、マーキュリーMk.VIIIエンジンを搭載しているブレニムMk.Iを、タイプ149/ブレニムMk.IIIとして改造し通常の偵察任務に用いた[2]。Mk.IIIは機首が機銃手のために延長され、操縦席より前左側の機首が操縦士の視界確保のために窪んだ設計となっている[1]。
この頃、カナダ空軍も新しい海上哨戒機を欲していた。ブレニムの長い航続距離は、このカナダ空軍の要求に見合ったものであった。ケベック州にある、アメリカのフェアチャイルド社系列であるフェアチャイルド航空機社は、ブリストル社とブレニムのライセンス契約を締結し、ブレニムMk.IVに元々使用される予定であったボーリングブロークの名を使用して、ブレニムMk.IVのライセンス生産を開始した。これは軍では「ボリー (Bolly)」という愛称で呼ばれた。初期型はボーリングブロークMk.IとしてブレニムMk.IVと全く同じ設計であった。18機Mk.Iを製造したフェアチャイルド社は、カナダやアメリカの機器を使用し、エンジンをマーキュリーMk.XVへ換装したボーリングブロークMk.IVへと生産ラインを切り替えた。Mk.IVは防氷ブーツを装備し、救命艇も機内に搭載していた。
合計626機のボーリングブロークが生産されたが、このうち最も生産された型は457機が生産されたMk.IVTである[3]。
各型
- ボーリングブロークMk.I
- 海上哨戒機型。2基のマーキュリーVIIIエンジンを搭載し、英国の機器を装備している。ブレニムMk.IVと同一の機体。18機製造[4]。
- ボーリングブロークMk.II
- Mk.Iの生産5機目の機器を米国のものへと変換した型で、Mk.IVのプロトタイプ。1機改造[5]。
- ボーリングブロークMk.III
- Mk.Iの生産16機目を水上機化した型。エド航空機社製のフロートを2つ備えている。1機改造[5][6]。
- ボーリングブロークMk.IV
- 海上哨戒機型。2基のマーキュリーXVエンジンを搭載し、防氷ブーツと救命艇およびアメリカ製、カナダ製の機器を装備している。134機製造[7]。
- ボーリングブロークMk.IVW
- 2基のSB4Gツインワスプジュニアエンジン(825馬力)を搭載したMk.IVの派生型[8]。Mk.IVWの性能はMk.IVの性能を下回り、イギリス製エンジンの供給が維持されエンジンを換装する必要がなくなったため、すぐに製造が打ち切られMk.IVの製造が再開された。15機製造[7][9]。
- ボーリングブロークMk.IVC
- 2基のR-1820サイクロンエンジン(900馬力)と高オクタン価燃料を必要とするMk.IVの派生型。1機製造[10]。
- ボーリングブロークMk.IVT
- 多目的練習機。マーキュリー XVエンジンを搭載した350機の後、低オクタン価燃料用にマーキュリー XXエンジンを搭載した107機の製造が行われた。このうち後期型は残り51機の時点で製造が打ち切られた[11]。また6機は二重操縦装置が装備された。主に機上作業や操縦の練習に使用され、ボーリングブロークの各型で最も多く製造された。計457機製造。
- ボーリングブロークMk.IVTT
- 標的曳航機型。後部胴体に標的曳航用のワイヤ装着フックが追加され、爆弾倉に標的を格納できるようになっている[12]。Mk.IVTより89機改造。
現存する機体
脚注
- ^ a b Mondey 1982, p. 52.
- ^ Molson and Taylor 1982, p. 120.
- ^ Vincent 2009, p.23
- ^ Green 1967, pp. 62–63.
- ^ a b Green 1967, p.64.
- ^ Green 1962, pp. 4–5.
- ^ a b Green 1967, pp. 64–65.
- ^ Vincent 2009, p. 40
- ^ Molson and Taylor 1982, p. 122.
- ^ Green 1967, pp. 65–66.
- ^ Green 1967, pp. 66–67.
- ^ Griffin 1969, pp.352-353, 364-372
関連項目