ビン・スカリー[注 1][注 2]/ヴィン・スカリー[注 3](Vin Scully[注 1]、1927年[注 1]11月29日 - 2022年8月2日)は、アメリカ合衆国のアナウンサー[注 1]。ニューヨーク市ブロンクス区生まれ[注 1]。
人物
1950年から[注 1][2][6]、メジャーリーグベースボール(MLB)に加盟するプロ野球球団、ブルックリン・ドジャース(1958年より、ロサンゼルス・ドジャース)の専属実況アナウンサーとして活動[注 1][4][2]。
1953年に25歳でワールドシリーズの実況を担当。以来、25回の実況を担当[2]。また、オールスターゲームも12回[2]を担当。選手個人による大記録の達成シーンについても、1956年のワールドシリーズでのドン・ラーセンの完全試合を始め、サンディー・コーファックスの完全試合[2]、ハンク・アーロンの通算715号本塁打[2]、野茂英雄のノーヒットノーラン(1996年)[2][3]で実況を担当。
決まり文句や絶叫に頼らず[注 1]、大記録達成時には歓声や拍手を聴かせるため沈黙に徹する手法[注 1]が特徴で、「20世紀で最も偉大なスポーツ・アナウンサー」[注 1]「ドジャースの声」[5][3]「ロサンゼルスの声」[2]といわれる。
野球以外ではNFL中継やPGAツアー・マスターズ中継でも実況を担当した。NFL中継では、伝説的プレイ『ザ・キャッチ』が生まれた1981年シーズンのNFCチャンピオンシップゲーム(サンフランシスコ・フォーティーナイナーズ対ダラス・カウボーイズ)における実況で知られる[7]。
1982年、アメリカ野球殿堂よりフォード・C・フリック賞が授与された。[3]。
2016年限りで引退を公表している。これに先立ちロサンゼルス市議会は同年1月、ドジャー・スタジアム近くの「エリシアン・パーク通り」を「ビン・スカリー通り」に改名する決議を行なった[8]。
9月25日のコロラド・ロッキーズ対ドジャース戦が本拠地での最後の実況となり、翌週の10月2日に行われたドジャース対サンフランシスコ・ジャイアンツ(AT&Tパーク)を最後に、67年にわたる実況生活にピリオドを打った。
11月16日、大統領自由勲章を受章[9]。
2022年8月2日死去。94歳没[10]。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク