バークリー子爵(バークリーししゃく、英: Viscount Bulkeley)は、アイルランド貴族の爵位。1644年に創設され、1822年に廃絶した。
歴史
アングルシー島の名士、サー・リチャード・バークリー(英語版)(1533–1621)の息子トマス・バークリー(英語版)}(1585–1659)はイングランド内戦でチャールズ1世を支持して、1644年1月6日にチャールズ1世によりアイルランド貴族であるティペラリー県ケッシェルにおけるバークリー子爵(Viscount Bulkeley of Cashel, co. Tipperary)に叙された。以降2代子爵から7代子爵まで6代にわたり庶民院議員を務めた。
7代子爵トマス・ジェームズ・バークリー(1752–1822)はサー・ジョージ・ウォレン(英語版)(1735–1801)の娘で相続人であるエリザベス・ハリエット・ウォレン(c.1760–1826)と結婚して、義父の死後の1802年に「ウォレン」を姓に加えった。また、政界ではホイッグ党に属したが、1783年のフォックス=ノース連立内閣以降は小ピット支持に転じたことで、1784年5月14日にグレートブリテン貴族であるアングルシー州ビューマリスのバークリー男爵(Lord Bulkeley, Baron of Beaumaris, co. Anglesey)に叙された。
7代子爵が1822年に急死すると、継承者がいなくなり爵位はすべて廃絶した。バークリー家の遺産は7代子爵の母の再婚相手第8代準男爵サー・ヒュー・ウィリアムズ(英語版)(c.1718–1794)の孫第10代準男爵サー・リチャード・ウィリアムズ(英語版)(1801–1875)が相続し、リチャードは1827年に「バークリー」を姓に加えた。エリザベス・ハリエットが1826年に死去すると、その遺言状に基づき遠戚(22等親、ninth cousin twice removed)の第4代準男爵サー・ジョン・ボーレイス・ウォレン(1800–1863)が相続した。
バークリー子爵(1644年)
出典
参考文献