第2代準男爵サー・トーマス・グーチ(1674年1月9日 - 1754年2月19日、英: Sir Thomas Gooch, 2nd Baronet)は、イングランド出身の主教。
生涯
ノーフォーク州 グレート・ヤーマス出身であるトーマス・グーチの息子として生を受けたグーチは、1691年に入学したケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで教育を受ける。1694年に教養学士(教養修士:1698年)、1706年に神学博士(英語版)、そして1711年には名誉神学博士の称号を受ける[1][2]。ロンドン教区主教(英語版)ヘンリー・コンプトン(英語版)のチャプレンとなり、1713年にコンプトンの葬儀で説教を行った。その後、グレートブリテン王国君主アンのチャプレン、セント・クレメント教会(英語版)と聖マルティン・オルガー教会の教区牧師を歴任した。1714年から1737年にかけてはエセックス州の大執事(英語版)を務めた[2][3]。
1716年よりゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの学長、1717年にケンブリッジ大学副学長(英語版)を務める。1737年にはブリストル教区主教(英語版)、1738年にはノリッジ教区主教(英語版)、1747年にはイーリー教区主教(英語版)を連続して務める。1751年、弟のウィリアム・グーチ(英語版)から準男爵の称号を相続した[2]。
最初の妻であるメアリー・シャーロックは宗教指導者ウィリアム・シャーロック(英語版)の娘である。2人は第3代ベナクル(英語版)準男爵となるトーマスを息子にもうける[4]。グーチは2度以上結婚している[2]。イーリー・プレイス(英語版)で没した彼はゴンヴィル・アンド・キーズにあるチャペルに埋葬された。チャペルの北壁には彼を追悼するモニュメントが設置されている[2][5]。
紋章
トーマス・グーチの紋章 |
クレスト | | |
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盾 |
色をすべて入れ替えた4本脚で立つ3頭のタルボットの範囲内にある山形紋をした銀白色と黒色の縦帯、さもなくば3頭のライオンの顔が並ぶ盾上部にある赤色の帯。
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モットー | |
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脚注