■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
ダニー・エルネスト・サンタナ(Danny Ernesto Santana, 1990年11月7日 - )は、ドミニカ共和国モンテ・プラタ州モンテ・プラタ(英語版)出身のプロ野球選手(ユーティリティープレイヤー)。右投両打。MLBのボストン・レッドソックス傘下所属。
2007年12月にアマチュア・フリーエージェントでミネソタ・ツインズと契約してプロ入り。
2008年、ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ツインズでプロデビュー。51試合に出場して打率.274、1本塁打、27打点、15盗塁を記録した。
2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズでプレーし、44試合に出場して打率.265、3本塁打、25打点、12盗塁を記録した。
2010年はA級ベロイト・スナッパーズ(英語版)とアパラチアンリーグのルーキー級エリザベストン・ツインズ(英語版)でプレー。A級ベロイトでは40試合に出場して打率.238、11打点、10盗塁を記録した。
2011年はA級ベロイトでプレーし、104試合に出場して打率.247、7本塁打、41打点、24盗塁を記録した。
2012年はA+級フォートマイヤーズ・ミラクルでプレーし、121試合に出場して打率.329、8本塁打、60打点、17盗塁を記録した。同年のフロリダ・ステートリーグのオールスターチームにも選出された。オフの11月20日にツインズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[1]。同日にツインズのマイナー所属選手から選ばれるオールスターチームに選出された[2]。
2013年3月11日にAA級ニューブリテン・ロックキャッツへ異動した[3]。この年はAA級ニューブリテンで131試合に出場して打率.297、2本塁打、45打点、30盗塁を記録した。7月10日にはイースタンリーグのオールスターチームに、8月29日には同リーグのポストシーズン・オールスターチームに選出された[4]。オフにツインズのマイナー・オールスターチームに2年連続で選出された[5]。
2014年3月16日にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ異動し[6]、そのまま開幕を迎えた。5月3日にメジャーへ昇格し[7]、5日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。7回表にホスミル・ピントの代走として出場してからそのまま指名打者に就き、9回表の初打席ではコディ・アレンから遊撃への内野安打を記録した[8]。最終的には中堅手と遊撃手を守り分け、101試合に出場。打率.319、7本塁打、40打点、20盗塁という見事な成績を収め、シーズンオフのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では7位にランクインした[9]。守備面では前述の通り中堅手と遊撃手を守り、中堅手では69試合でUZR-0.4、DRS±0、Def+0.5を記録し[10]、遊撃では34試合でUZR-0.5、Def+1.3、DRS-1と[11]、平均をわずかに下回った。
2015年は一転して不振に陥り、2年目のジンクスに阻まれた。91試合に出場したが、打率は.215となり、ホームランは1本もなかった。また、盗塁も半減以下となる8個に留まった。守備面では遊撃手がメインだったが、66試合で16失策を記録し、UZR-6.5、Def-3.6、DRS-15まで落ち込んだ[12]。
2016年はレギュラーの座をキープ出来ず、ユーティリティープレイヤーの役割を担った。75試合に出場して打率.240、2本塁打、14打点、12盗塁という成績を残し、前年よりは復調したが、盗塁は失敗も9個と多かった。守備では中堅手をメインで守ったが、40試合で1失策、守備率.991、UZR-1.8、Def-1.2、DRS-7と不安定な内容だった[13]。また左翼手で17試合、右翼手で6試合守り、二塁手、遊撃手、三塁手を各3試合以下で守った。
2017年5月5日にDFAとなった[14]。
2017年5月8日にケビン・チャップマン、金銭とのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[15]。
ブレーブス移籍後は左大腿四頭筋の肉離れで8月18日以降は故障者リストに入っていた。オフの12月1日にフリーエージェント(FA)となったが、20日にブレーブスとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
2018年は開幕を傘下のAAA級グウィネット・ストライパーズで迎えた。6月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。7月19日にDFA、22日にマイナー契約でAAA級グウィネットへ配属された。レギュラーシーズン終了後の10月11日にFAとなった[17]。
2019年1月9日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[18]。開幕は傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え、4月13日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[19]。飛躍のシーズンになり、自己最多となる130試合に出場し、打率.283、28本塁打、81打点、21盗塁を記録した。守備では一塁手に挑戦し、自身初となる内外野全てのポジションで出場し、ユーティリティープレイヤーとしてシーズンを通して活躍した[20]。また、指名打者も含めて捕手と投手以外の全てのポジションでスタメン出場した[21]。
2020年オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[22]。
2021年3月7日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[23]。シーズン開幕後、5月21日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[24]。オフの11月3日にFAとなった[25]。
2022年4月4日、禁止薬物の一種であるボルデノンに陽性反応を示したため、MLBから80試合の出場停止処分を受けた[26]。
2022年7月28日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[17]。
この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
Lokasi Pengunjung: 3.144.88.85