ダグラスの『冒険を語るオセロ』に基づくジョン・エメリー(John Emery )の絵画、1879年画。
ダグラス・クーパー (英語 : Douglas Cowper 、1817年 5月30日 – 1839年 11月28日 )は、イギリス の画家。
生涯
クーパーが描いたとされる、友人ウィリアム・フリス の肖像画、1836年 – 1838年。
ウィリアム・クーパー(William Cowper 、1778年/1781年 – 1841年)とイザベラ・ダグラス(Isabella Douglas 、1791年 – ?)の四男として[ 1] 、1817年5月30日にジブラルタル で生まれた[ 2] 。一家は1829年9月までにガーンジー島 に移住、クーパーは同年から1832年までガーンジー島のエリザベス・カレッジ (英語版 ) で教育を受けた[ 1] 。ガーンジー島で絵画に興味を持ち、同島にある絵画をいくつか模写したという[ 2] 。
1834年にロンドン に行き、ヘンリー・サス (英語版 ) の指導を受けた後[ 2] 、1836年1月2日にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ に入学した[ 1] 。同年12月[ 1] 、ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー に展示されていたニコラ・プッサン の『リナルドとアルミーダ』の模写で銀メダルを授与された[ 2] 。また、サスの指導を受けた時期にウィリアム・フリス と親しい友人になり、フリースは1887年から1888年にかけての自叙伝でクーパーを賞賛した[ 1] 。
1837年にロイヤル・アカデミーで展覧会を開き[ 2] 、以降死去までロイヤル・アカデミー、英国美術振興協会 (英語版 ) 、英国王立美術家協会 で合計17点の絵画を展示した[ 1] 。
オックスフォード英国人名事典 によると、1839年にロイヤル・アカデミーで展示された『冒険を語るオセロ』(Othello Relating his Adventures )はダグラスが将来有望な画家であることを示す作品だった[ 1] 。しかし、ダグラスは1838年より結核 にかかり、病状が悪化の一途をたどったため一時は南仏で休養したが、病状は好転せず、ガーンジー島 に帰ったのち1839年11月28日に早世した[ 2] 。
出典