ソノラマジョッキー(ソノラマ・ジョッキー)[注 2]は、1962年2月4日から1966年12月4日まで朝日放送(ABC)ラジオ[注 1]で放送された音楽番組[注 3]。
概要
タイトル通り、当時ソノシート付き出版物を発行していた朝日ソノラマ(朝日ソノプレス)[注 4]が提供スポンサーを務め[注 5]、同社が発行していた雑誌『映画音楽』の付録ソノシートに収録された楽曲を中心に紹介していた[4]。
佐々木信也(野球解説者・野球評論家)がディスクジョッキーを務めた[注 6]。構成作家は岡本克己が担当[注 7]。
放送時間は、当初は日曜21:00 - 21:30[1]。以後、同年5月より月曜19:00 - 19:30[1]、1963年6月より日曜23:10 - 23:40[1]にそれぞれ放送された。
1966年4月21日、第14回民放大会賞[注 8]にて、番組部門ラジオディスク最優秀賞へ入選[2]。
ネット局
TBSラジオ[注 9]でも、1962年1月31日から1966年10月30日まで放送[注 10]。時間は、当初が水曜21:10 - 21:40[3]、終了当時が日曜23:35 - 翌0:05[3][注 11][注 12]。
脚注
注釈
- ^ a b 1951年3月15日に朝日放送(ABC)として会社設立。同11月11日にラジオ単営局として開局。1959年6月に大阪テレビ放送(OTV)を合併しラジオ・テレビ兼営局となる。2018年4月に朝日放送グループホールディングスへと社名変更・放送持株会社化し、ラジオ放送業務は朝日放送ラジオ(ABCラジオ)、テレビ放送業務は朝日放送テレビ(ABCテレビ)としてそれぞれ子会社の運営に移行。
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- ^ 1959年に朝日ソノプレス社の名前で設立。1966年12月に朝日ソノラマへ社名変更。
- ^ 参考…[3](朝日ソノプレスとして記載[2])。なお、ネット局だったTBS(東京放送)の社史では、開始当時「朝日ソノプレス」名義であったことおよびコトブキイスとの二社提供であったことが明記[3]。
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- 出演として明記…[3][12]
- 喋り手である旨、元野球選手・野球評論家である旨が明記…[4]
- 声の出演として明記…[1]
- 2018年のインタビュー記事より、野球解説者としての仕事の傍ら、ラジオ音楽番組のディスクジョッキーやテレビワイドショーの司会を務めたことが語られている[13]。
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- ^ 日本民間放送連盟(民放連)主催
- ^ 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。
- ^ TBSラジオでの放送開始終了年月日は、次を参照[3][12]。「制作ABC」という記載もあり[3]。
- ^ TBSラジオの放送時間について、次の資料でも水曜21:10 - 21:40と記載[12]。
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- 1963年3月当時は、月曜21:10 - 21:40[5]。同5月当時は、火曜22:30 - 23:00[6]。同10月当時も、火曜22:30 - 23:00[7]。
- 1964年4月当時は、日曜0:00 - 0:30(編成上は土曜深夜)[8]。
- 1964年7月当時で終了時と同じ放送時間だった[14]。
出典
脚注予備
参考資料
- TBSラジオ番組表 ※一部、『TBS50年史』資料編またはDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録。また、ラジオ東京スピリッツ(TBSラジオ開局60周年記念特設サイト。リンク先は、インターネットアーカイブ2012年8月15日付保存キャッシュ)でもPDFファイルを配信。
関連項目