メルゼブルク伯ジークフリート(Siegfried von Merseburg, ? - 937年7月10日)は、メルゼブルク伯(在位:934年 - 937年)。
生涯
ジークフリートは北チューリングガウ伯ティートマールの子である。936年にザクセン公領の代理統治者とされた。皇帝オットー1世は自身の戴冠式の間、弟ハインリヒ1世をジークフリートの保護監督下に置いた[1]。コルヴァイのヴィドゥキントによると、この時ジークフリートは「国王に次ぐ者」であったという[2]。
ジークフリートが死去した後、その領地はオットー1世の異母兄タンクマール[3]と、オットー1世に任命されたジークフリートの弟ゲロとの間で争われ[4]、ゲロが継承した。
ジークフリートは最初に東フランク王ハインリヒ1世の姉妹または娘のイルミンブルクと結婚していたとみられる[5][6]。二度目にユッタと結婚した。
脚注
- ^ Bernhardt, p. 6
- ^ コルヴァイのヴィドゥキント、p. 107
- ^ タンクマールの母ハーテブルクはジークフリートの母方の従姉妹であったが(母親同士が姉妹、コルヴァイのヴィドゥキント、p. 295)、メルゼブルク伯エルヴィンの娘であり、タンクマールはもともと母方の所領であったメルゼブルクの継承を主張した(Bernhardt, p. 18)。
- ^ Bernhardt, p. 18
- ^ コルヴァイのヴィドゥキント、p. 117
- ^ Eckhardt, p. 18
参考文献
- John W. Bernhardt, Itinerant Kingship and Royal Monasteries in Early Medieval Germany, c. 936–1075. Cambridge: Cambridge University Press, 1993.
- Timothy Reuter, Germany in the Early Middle Ages 800–1056. New York: Longman, 1991.
- Karl August Eckhardt, Genealogische Funde zur allgemeinen Geschichte. Witzenhausen: Deutschrechtl. Instituts-Verl., Witzenhausen, 1962.
- コルヴァイのヴィドゥキント、三佐川亮宏 訳 『ザクセン人の事績』 知泉書館、2017年