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この項目では、元バスケットボール選手について説明しています。
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ジョージ・スミス・キング・ジュニア(George Smith King Jr.、1928年8月16日 - 2006年10月5日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長183cm、体重79kg。ポジションはポイントガード。
経歴
選手時代
ウェストバージニア州ファイエット出身。チャールストン大学在学中に2年連続で州の年間最優秀アマチュアアスリートに選ばれた。1950年NBAドラフト8巡目でシカゴ・スタッグズに指名されたが入団せず、AAUで1年間プレーした後シラキュース・ナショナルズに入団した。
ナショナルズではドルフ・シェイズ、ポール・シーモアらとともに主力として活躍し、2年目にリーグ3位の平均5.1アシストを記録した。チームは1955年NBAファイナルに進出してフォートウェイン・ピストンズと対戦し、激戦の末4勝3敗で初優勝を果たした。キングは、第7戦残り12秒で決勝フリースローを沈め、ラストプレーでアンディ・フィリップからスティールをあげて優勝を決定づける殊勲の活躍を見せた。
キングはナショナルズで5シーズンプレーし、1956年に一旦現役を引退した。母校チャールストン大学のヘッドコーチを短期間務めた後、1957年シンシナティ・ロイヤルズで現役復帰し、1シーズンのみプレーして再度引退した。NBAでの成績は、411試合の出場で通算4,219得点1,958アシスト(平均10.3得点4.8アシスト)であった。
コーチ時代
キングは1960年ウェストバージニア大学のヘッドコーチに就任し、5シーズンでチームをNCAAトーナメントに3度導いた。1965年パデュー大学に移り、1969年に学校史上唯一のNCAAトーナメント決勝進出を果たしたが、ルー・アルシンダー擁するUCLAに敗れた。1972年の退任後は同校の陸上競技部監督を1992年まで務め、NCAAの要職も歴任した。カレッジでのコーチ戦績は、12シーズンで211勝107敗(勝率.664)であった。
キングは1983年に母校チャールストン大学から名誉博士号を授与され、チャールストン大学とパデュー大学のアスレチック殿堂にも選ばれた。
2006年、78歳で死去。
個人成績
レギュラーシーズン
Season
|
Team
|
GP
|
MPG
|
FG%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
PPG
|
1951-52
|
SYR
|
66 |
28.6 |
.406 |
.712 |
4.2 |
3.7 |
10.0
|
1952-53
|
71 |
35.5 |
.402 |
.643 |
4.0 |
5.1 |
11.2
|
1953-54
|
72 |
32.9 |
.376 |
.627 |
3.7 |
3.8 |
11.3
|
1954-55†
|
67 |
30.1 |
.377 |
.611 |
3.4 |
4.9 |
8.9
|
1955-56
|
72 |
32.5 |
.372 |
.640 |
3.5 |
5.7 |
10.3
|
1957-58
|
CIN
|
63 |
36.1 |
.364 |
.617 |
4.9 |
5.3 |
9.7
|
Career
|
411 |
32.6 |
.382 |
.642 |
3.9 |
4.8 |
10.3
|
プレーオフ
Year
|
Team
|
GP
|
MPG
|
FG%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
PPG
|
1952
|
SYR
|
6 |
34.5 |
.352 |
.679 |
4.8 |
3.5 |
9.5
|
1953
|
2 |
33.5 |
.462 |
.833 |
2.5 |
4.5 |
11.0
|
1954
|
10 |
28.6 |
.403 |
.603 |
2.2 |
2.1 |
8.8
|
1955†
|
11 |
33.7 |
.393 |
.636 |
3.7 |
5.6 |
11.5
|
1956
|
8 |
39.6 |
.361 |
.792 |
5.9 |
7.5 |
14.5
|
1958
|
CIN
|
2 |
39.5 |
.250 |
.667 |
2.5 |
3.5 |
9.0
|
Career
|
39 |
34.0 |
.372 |
.679 |
3.8 |
4.6 |
11.0
|
外部リンク