初代タラ男爵ジョン・プレストン(英語: John Preston, 1st Baron Tara PC (Ire)、1764年11月4日 – 1821年7月18日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。1783年から1800年までアイルランド庶民院議員を務めた[1]。
生涯
アイルランド庶民院議員ジョン・プレストン(1731年から1734年ごろ – 1781年1月19日[1])と妻メアリー(ジェームズ・スミスの娘)の息子として、1764年11月4日に生まれた[2]。エディンバラ大学で教育を受けた後[2]、1783年6月23日にオックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジに入学した[3]。
1783年から1800年までナヴァン選挙区(英語版)の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。議会では1799年にアイルランド王国とグレートブリテン王国の合同に反対票を投じたものの、1800年に賛成票を投じ、その結果として同年7月31日にアイルランド貴族であるミーズ県におけるベリンターのタラ男爵に叙された[2]。爵位名の由来は17世紀のタラ子爵(英語版)家と同姓(ただし、タラ男爵家はタラ子爵家とも、同じく同姓のゴーマンストン子爵(英語版)家とも血縁関係がない)だったため、タラの丘を一部所有したためといった説がある[2]。
1800年8月2日、アイルランド貴族院議員に就任した[2]。1813年4月6日、アイルランド枢密院(英語版)の枢密顧問官に任命された[2]。
1821年7月18日、アイルランドへ戻る道中のカンバーランド州ロングタウン(英語版)で死去、後継者がいなかったため爵位は廃絶した[2]。
家族
1801年9月3日、ハリエット・ポウィス(Harriet Powys、1831年8月ごろ没、トマス・ジェルフ・ポウィスの三女)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。
出典