ロイ・ポーターの『人体を戦場にして』によれば、ブラウンの時代は「機械論」に対抗するものとして、生理学的研究が始まった時代であった。スイスのアルブレヒト・フォン・ハラー(Albrecht von Haller)が筋肉の収縮について実験、考察し、カレンは生命そのものを神経の力の作用によるものであると見なし、病気(とくに精神病)が引き起こされるときの神経系統の役割を力説した。ブラウンはカレンの考えを推し進め、健康と病気の一切を刺激に対する感応性で理解しようとした。病気は適切な刺激作用が擾乱されることであり、病人の体が興奮過多であるか、興奮過少であるかによってそれぞれ「強壮である」あるいは「虚弱である」として扱う必要があると主張した。しかしながら、実際の治療はどちらの体調異常にも、アルコール飲料とアヘンの多量の服用をすすめるものであった。ブラウンもアルコール中毒患者になって死んだとされる。[1]