1759年から1764年ごろにBaronagium genealogicumという貴族家系図の手稿(17世紀のガーター・プリンシパル・キング・オブ・アームズであるサー・ウィリアム・セガー(英語版)の曽孫にあたるサイモン・セガーが著したとされる)を入手し、これを更新して出版しようとしたが、紋章院の紋章官も敵愾心から貴族家系図を作成しようとした[2]。しかし紋章院は家系図の作成に失敗、一方エドマンドソンは第6代準男爵サー・ジョセフ・エイロフ(英語版)の助けを借りて1764年に更新を終え、Baronagium Genealogicum, or the Pedigrees of the English Peers, deduced from the earliest times(5巻、ロンドン)として出版した[2][1]。5巻まとめて25ギニーという値段で売られており、発行以降に創設された貴族を増補した第6巻が後に出版された[1]。『英国人名事典』はエドマンドソンの貴族家系図を「無限の労力の成果だが、その中の情報はあまり頼りにならない」(a work of infinite labour, but the information given is not much to be depended upon)と評している[1]。
紋章官就任以降も紋章学に関する著作の発表を続け、1780年には紋章5万点を包括的に記述した『紋章学全書』(A Complete Body of Heraldry、ロンドン、2巻)を出版した[2]。『オックスフォード英国人名事典』によると、エドマンドソンは執筆にあたりジョン・アンスティス(英語版)の『紋章官』(Officers of arms)という未出版の手稿を購入して、それを参考したが、『紋章学全書』ではアンスティスの手稿を参考したことを明記しなかったという[2]。また、1764年の貴族家系図と同じく、エドマンドソンは『紋章学全書』でもエイロフの助けを借りた[1]。
『グレートブリテン貴族およびアイルランド貴族の手引き』(A Companion to the Peerage of Great Britain and Ireland、1776年、ロンドン、八折り判[1])
『紋章学全書』(A Complete Body of Heraldry、1780年、ロンドン、2巻[1])
The present Peerages … the plates of arms revised by Joseph Edmondson(1785年、ロンドン、八折り判[1])
ほかにもAlphabet of Arms with the Arms in trick、Proposal for the institution of an Order of Merit, with drawings、Papers relating to the institution of the Order of St. Patrick, 1783、Pedigrees of Families of Great Britain, 1784–6といった手稿を残している[1]。