ジャン1世(Jean Ier d'Auvergne, ? - 1386年3月24日)は、フランスのオーヴェルニュ伯およびブローニュ伯(1361年 - 1386年)。ロベール7世伯とその2番目の妻マリー・ド・ダンピエールの間の次男。
生涯
異母兄のギヨーム12世が父の後継ぎとなったため、モンフォール伯領を相続した。1360年に姪の女伯ジャンヌ1世が、翌1361年にジャンヌの一人息子フィリップ・ド・ルーヴルが相次いで亡くなると、オーヴェルニュとブローニュを相続した。ジャン1世はマンザ(フランス語版)郊外のル・ブーシュ(Le Bouchet)に埋葬された。
1328年、ブルボン公ルイ1世の弟シャロレー領主ジャン・ド・シャロレーの娘ジャンヌ・ド・クレルモン(1383年没)と結婚し、1男2女の計3人の子女をもうけた。
参考文献
- Detlev Schwennicke (Hrsg.): Europäische Stammtafeln. Neue Folge Band 3, Teilband 4: Das feudale Frankreich und sein Einfluss auf die Welt des Mittelalters. Klostermann, Frankfurt am Main 1989, Tafel 735.