その後、アンドリー・シェフチェンコやセルヒー・レブロフといった才能が育ち、1998 FIFAワールドカップのヨーロッパ予選ではドイツと接戦を演じグループ9の2位でプレーオフ進出を果たす。1997年10月から11月にかけて行われたプレーオフの相手はウクライナと同じく独立を果たして間もないクロアチアとなったが、敵地での初戦を0-2で落とすとホームでの第2戦を1-1で引き分け、ワールドカップ出場を逃した。UEFA EURO 2000予選でもプレーオフまで進んだが、スロベニアに2試合合計2-3で競り負け、初出場は叶わなかった。
ウクライナとポーランドの共催で開かれたUEFA EURO 2012は、ホスト国のため予選を免除され、初の欧州選手権参戦となった。再びオレフ・ブロヒンを監督に据えての挑戦であったが、組み込まれたグループDはスウェーデン、フランス、イングランドと同居する厳しいものとなった。それでも初戦のスウェーデン戦はアンドリー・シェフチェンコの2得点で2-1の逆転勝利を飾り、欧州選手権初勝利を手に入れた。続くフランス戦は雷雨のため開始4分で試合が中断され、約1時間後に試合が再開されたが、0-2で敗戦。勝負の最終節のイングランド戦は後半3分に先制され、得点が必要となる中、後半17分にマルコ・デヴィッチのシュートが相手GKジョー・ハートに当たりゴールラインをわずかに越えた後ジョン・テリーにクリアされる場面があった。しかし審判はラインを越えていないと判断し得点とはならず、そのまま0-1での敗戦となり、開催国でありながらグループリーグで大会を去ることとなった。大会後には長年ウクライナ代表を支えてきたシェフチェンコが現役を引退し[1]、2012年12月には新たにミハイロ・フォメンコが監督に就任した。
それでも出場枠が24に増加したUEFA EURO 2016に向けての予選ではプレーオフでスロベニアを2試合合計3-1で下し、初の予選を勝ち抜いての欧州選手権参加を決めた。しかし、本大会ではグループリーグでドイツ、北アイルランド、ポーランドを相手にそれぞれ0-2、0-2、0-1で敗戦。無得点かつ全敗で大会を去ることとなった。大会後にはフォメンコに代わり、シェフチェンコが監督に就任。また、2016年8月にはウクライナ代表最多出場記録を更新し続けていたアナトリー・ティモシュチュクが代表引退を発表した[3]。