「コルネリス・ファン・フォレンホーフェン」を編集中 (1917)
コルネリス・ファン・フォレンホーフェン (Cornelis van Vollenhoven, 1874年 5月8日 - 1933年 4月29日 )は、オランダ の法学者 。ライデン・アダット法学 派(ライデン学派 )の確立者として知られる。
人物
ホラント州 (現南ホラント州 )ドルトレヒト に生まれる。ライデン大学 に学び、法学 修士、セム語 学士、政治学 修士を取得後、1898年に法学、政治学で博士号を取得(「国際法の概観と内容 Omtrek en inhoud van het internationale recht 」)。1901年にライデン大学教授に就任。インドネシア のアダット 法と国際法の研究・教育に専念し、影響力を持った。1932年には、アムステルダム大学 より名誉博士号授与。1933年、ライデンにて没する。
研究・業績
インドネシア各地のアダットは、それまでも研究者の注目を浴びていたが、彼によって初めて学問的に体系化された。1918年 に大著『オランダ領東インドの慣習法』第1巻が完成し、それまでのオランダ植民地政庁が推し進めていた法体系の一元化、西欧化の再検討とともにアダットの多様性を認めるよう主張。ユトレヒト学派と対立するも、最終的に勝利した。また、1910年 以来、『慣習法集成』の刊行を指揮した。このプロジェクトは彼の死後も弟子に受け継がれ、45巻に及ぶものとなった。
思想的背景
フォレンホーフェンの思想的背景には、ドイツ ・ロマン主義 、とりわけ、カール・サヴィニー の歴史法学 の影響があった(Burns 2004)。サヴィニーによれば、あらゆる法は、まず習俗と民族の信念とによって生まれ、次いで法学によって成立するもので、民族の歴史的発展の所産であり、したがって、法は立法者の恣意に左右されるものではない。このロマン主義的投影をフォレンホーフェンはオランダ領東インドに求めたのである。
著作
1918, Het Adatrecht van Nederlandsch-Indië Deel 1, Leiden.
1931, Het Adatrecht van Nederlandsch-Indië Deel 2, Leiden.
1933, Het Adatrecht van Nederlandsch-Indië Deel 3, Leiden.
1919, De Indonesiër en zijn grond , Leiden.
1928, Ontdekking van het Adatrecht , Leiden.
1934, Du droit de Paix. De Iure Pacis Franstalig, Den Haag.
関連項目
参考文献
Peter Burns, 2004, The Leiden Legacy: Concepts of Law in Indonesia , Leiden: KITLV Press.
外部リンク