グラスゴー大聖堂(グラスゴーだいせいどう、英語: Glasgow Cathedral)、またはグラスゴー高教会(グラスゴーこうきょうかい、英: High Kirk of Glasgow)、聖ケンティガーン大聖堂(せいケンティガーンだいせいどう、英: St Kentigern's Cathedral)、聖ムンゴ大聖堂(せいムンゴだいせいどう、英: St Mungo's Cathedral)はグラスゴーにあるスコットランド国教会の聖堂。
スコットランド宗教改革(英語版)以前に建てられ、ローマ・カトリック教会のグラスゴー司教、大司教、続いてスコットランド国教会のグラスゴー大主教の所在地であり、現代ではスコットランド国教会のグラスゴー長老会(英語版)の所在地になっている。ハイ・ストリートの北、カテドラル・ストリートの東で、グラスゴー王立診療所(英語版)の隣にある。
歴史
グラスゴー大聖堂はスコットランド宗教改革(英語版)以前の12世紀末に建てられ[1]、歴代のグラスゴー司教、大司教、大主教の所在地になっている。スコットランド式ゴシック建築の一例であり、スコットランド宗教改革を生き延びた数少ない中世スコットランド聖堂の1つである(スコットランド本土では唯一)。
1502年12月10日、スコットランド王ジェームズ4世は大聖堂の祭壇で永遠平和条約(英語版)を批准した[2]。また1544年(英語版)と1560年(英語版)におこったグラスゴーの戦いにも影響している[3]。宗教改革から20年後の1581年4月22日、ジェームズ6世は土地の一部からの収入を聖堂の維持費としてグラスゴー市に支払った。ジェームズ6世はこれらの土地の所有権をグラスゴー大司教ギャヴィン・ダンバー(英語版)が聖堂を修復したときの残金までたどった[4]。グラスゴー市議会は1583年2月27日に聖堂を修復する責任を認めることを決議したが、義務ではないとも記録した[5]。この決議により聖堂は宗教改革を生き残り、聖堂内にある内陣仕切り(英語版)はスコットランドの聖堂において現代まで残った数少ないものの1つである。
聖堂に埋葬された者
ギャラリー
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グラスゴー大聖堂と大聖堂広場
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聖堂の内陣、2015年撮影
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グラスゴー大聖堂の版画、
ジョン・スレーザー(英語版)作、1693年
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1893年の絵葉書に見られる聖堂の外観
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19世紀のグラスゴー大聖堂の内装
脚注
- ^ “History”. Glasgow Cathedral (2010年). 2017年2月27日閲覧。
- ^ Bain, Joseph, ed., Calendar of Documents relating to Scotland, 1357–1509, vol. 4, HM Register House, Edinburgh (1888), p. 339, nos. 1690–2.
- ^ Dickinson, Gladys, ed., Two Missions of de la Brosse, SHS (1942), pp. 81, 85–87.
- ^ Register of the Privy Council of Scotland, vol. 8, HMSO (1982), 38–39, no. 232.
- ^ Extracts from the Burgh Records of Glasgow, (1876), 100.
外部リンク