インドネシア独立戦争では、バリ島においてゲリラ戦術で8ヶ月間戦い抜いたが物資や武器を使い果したため、ウァグニン警察司令官が率いてタバナン県のオランダ軍補充部隊の兵舎を襲撃して成功を収めた。しかし、その数日後にングラライの率いる部隊は、オランダ軍と遭遇し、オランダとバドゥン県マルガの戦闘で、人民治安部隊を率い96名が降伏勧告を拒否し壮絶に戦って玉砕(バリではププタンという)した。この時、ングラライがオランダ軍に送った返答文書の最後には「Merdeka atau mati!(自由か死か)」と書かれていた。この戦闘をププタン・マルガラナ事件という。玉砕した兵士の中には敗戦国として捕虜となりメングイ収容所に留置されていて脱走した12名の残留日本人も含まれていた。ングラライは、同地のチャンディ・マルガラナ墓苑に玉砕した部隊兵士とともに埋葬されている。