グアム国際空港 (グアムこくさいくうこう、英語 : Guam International Airport )、正式名称アントニオ・B・ウォン・パット国際空港 (英語 : Antonio B. Won Pat International Airport )は、アメリカ合衆国 グアム の国際空港 である。
概要
3,000メートル級の滑走路を2本持つ、グアムの観光中心地タムニン とバリガダ にまたがる高台に位置するグアム唯一の国際空港である。24時間運用されており、特に日本 等への早朝便や日本等からの深夜到着便も多い。旅客ターミナルの他に貨物専用ターミナルも完備されており、貨物専用便の発着も多い。
ユナイテッド航空の太平洋 地域におけるハブ空港である。
2012年11月19日より、仙台空港 と姉妹空港提携を締結した[ 4] 。
歴史
第二次世界大戦 以前、サンフランシスコ からハワイ 経由でグアムに乗り入れていたパンアメリカン航空 は飛行艇 でグアム島内に乗り入れていた。その後、第二次世界大戦中の1943年 に当時グアム島を占領していた大日本帝国海軍 の飛行場として建設された。
旧旅客ターミナル
1944年 7月から8月にかけて行われたグアムの戦い でグアムを奪還したアメリカ軍は、この飛行場をアメリカ陸軍航空軍 (アメリカ空軍 の前身)の基地「アガナ飛行場 」とした。1949年 にはアメリカ海軍 に移管され「アガナ海軍航空基地 」となり、1995年 まで軍事基地として使用された。
1964年 より民間供用が開始され、パンアメリカン航空やコンチネンタル航空 、ノースウェスト航空 が就航を開始した。1967年 にはパンアメリカン航空が東京国際空港との路線を開設した。
最初の本格的な旅客ターミナルは1982年 に建てられた。1988年 には旅客ターミナルの正式名称を、グアムから初めてアメリカ合衆国下院議員となったアントニオ・B・ウォン・パット にちなんで「Antonio B. Won Pat Guam International Air Terminal」と改称した[ 5] 。1998年 には国際線旅客の増加に対応して現在の旅客ターミナルが新設された。
旅客ターミナル設備
航空会社カウンター
免税店
フードコート
1998年9月に供用が開始された旅客ターミナルは、約550,000平方フィート (約51,000平方メートル )の面積を持ち、710台分の一般利用客向け平置き駐車場が併設されている。国内線と国際線に対応しており、日本 や大韓民国 などからの国際線旅客の利用に対応して免税店や土産物店、高級ブランドのブティックも多く設けられている。
制限区域外
制限区域内
出入国管理
入国管理 はアメリカ国土安全保障省 税関・国境警備局 (CBP)が行い、通関 はグアム政府の税関・検疫所が行っている。また出国時のセキュリティ・チェック はアメリカ国土安全保障省の運輸保安庁 が行っている。
日本国籍 を含む十数カ国の国籍保持者は、入国する際に「グアム-北マリアナ諸島連邦ビザ免除プログラム」[ 6] という当該地域専用ビザ免除プログラム も利用することができる。これは通常アメリカ合衆国の州 へ入国時に義務付けられている電子渡航認証システム (ESTA)を申請することなく、入国できる制度である(ただしグアム・北マリアナ諸島のみの滞在に限る)[ 7] 。
上記の通り、アメリカ本土とは異なる入国管理を実施していることから、ホノルルへの直行便(2023年現在、ユナイテッド航空のみ)は、搭乗に際してCBPによる再度の入国審査を受けることになり、専用の入国審査台、搭乗口が設置されている。
就航航空会社と就航地
2020年以降、新型コロナウイルス感染症の影響 により、多くの定期便が運休、減便、経路変更となっている。
2023年8月現在[ 8] [ 9] [ 10]
交通
グアムの経済及び観光の中心地であるハガニア やタモン へ車で15分程度の距離にある。島内の主なホテル へシャトルバスが運行されている。またタクシー も多く使用されている。アメリカや日本の大手レンタカー 会社のデスクも完備されている。空港内のレンタカーデスクは乗り入れ便に合わせ24時間営業している。
事故
1997年 8月6日深夜、ソウル・金浦国際空港 発、グアム国際空港行きの大韓航空 801便(ボーイング747-300 )が、空港西側のミニッツヒルの丘に墜落。乗員乗客237人の内228人が死亡する大惨事となった。
脚注
関連項目
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外部リンク
空港情報 (ICAO:PGUM · IATA:GUM)
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