クラウディア・オクタウィア(ラテン語: Claudia Octavia, 40年 - 62年6月9日)は、ローマ皇帝クラウディウスと3番目の妻メッサリナの娘でブリタンニクスの姉。ネロの義理の妹であり最初の妻である。通常、単にオクタウィアと呼ばれる。
略歴
当初はクラウディウスによって、小ユリアの孫にあたるルキウス・シラヌス(英語版)と婚約していた。しかしメッサリナの死後、クラウディウスが小アグリッピナとの関係を深めると、婚約者シラヌスとその妹との間に近親相姦の嫌疑がかけられ、婚約は破棄された。自らの子ネロを帝位に就けるべく、ネロとオクタウィアの結婚をアグリッピナが望んだためと言われている。49年にクラウディウスとアグリッピナが結婚すると、同じ年にオクタウィアもネロと婚約した。その後、50年2月25日にネロはクラウディウスと養子縁組を行い、皇帝の後妻の連れ子から皇帝の養子へとその立場を変える。
53年に12歳でネロと正式に結婚し、同日に元婚約者シラヌスは自殺する。54年に父クラウディウスが死ぬと、夫ネロが皇帝となる。翌55年には弟ブリタンニクスが、ネロにより晩餐の最中に暗殺されている。
ネロは女奴隷であるアクテ(英語版)を実質上側室とするなど、性的に放縦な傾向を示していたが、オクタウィアは貞淑な妻として夫に尽くしていたといわれる。その後、ネロが友人オトの妻であったポッパエア・サビナに心を惹かれるようになると、58年にオトはルシタニア総督を命じられ、ローマから引き離された。ネロはポッパエアとの結婚を望んだが、ネロの母アグリッピナは野心の強い女との結婚には反対し、高貴な血を引くオクタウィアとの離婚を許さなかった。
しかし59年、アグリッピナがネロによって殺害される。さらに、離婚に反対していたプラエフェクトゥス・プラエトリオ(近衛隊長官)のブッルスが62年に死去、セネカが同じ年に失脚すると、オクタウィアは不妊を理由に離婚された。さらにネロはアニケトゥスという者とオクタウィアが不倫関係にあったとでっち上げた上で、オクタウィアを姦通罪によってティレニア海の孤島パンダテリア島(現在のヴェントテーネ島)に幽閉した。
6月9日、オクタウィアは縄で縛り上げられ、手足の血管を切り開かれて自殺させられた。また、ポッパエアへ見せるためにオクタウィアの首は切断され、ローマへ運ばれた。オクタウィアはローマ市民から愛されたが、夫からはあまり愛されなかったといわれている。なお、オクタウィアの死から6年後の同日にネロも自殺した。
彼女を題材に、セネカ作といわれる悲劇『オクタウィア』が作られた。
系図