キャデラック・シマロン |
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1982年型 |
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1988年型 |
概要 |
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販売期間 |
1981年(1982年モデルイヤー)-1988年 |
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ボディ |
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乗車定員 |
5人 |
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ボディタイプ |
4ドア・セダン |
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駆動方式 |
FF |
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パワートレイン |
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エンジン |
水冷4気筒OHV1,800/2,000cc V型6気筒2,800cc |
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変速機 |
3速AT/4速MT |
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前 |
前:独立・マクファーソンストラット/コイル 後:固定・トレーリングアーム/コイル |
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後 |
前:独立・マクファーソンストラット/コイル 後:固定・トレーリングアーム/コイル |
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車両寸法 |
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ホイールベース |
2,570mm |
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全長 |
4,392mm |
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全幅 |
1,694mm |
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全高 |
1,320mm |
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車両重量 |
1,262kg |
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その他 |
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プラットフォーム |
GM・Jカー |
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キャデラック・シマロン(Cadillac Cimarron )はアメリカ合衆国の自動車メーカー・ゼネラルモーターズ(GM)のキャデラック部門が、同社の世界戦略車・Jカーのプラットフォームを用いて1981年から1988年まで生産販売した小型乗用車である。132,499台が生産された。デビュー当初から1984年モデルイヤーまでは「シマロン・バイ・キャデラック」(Cimarron, by Cadillac )として広告宣伝が行われた。
概要
1979年の第二次石油危機や、燃費規制CAFE(Corporate Average Fuel Economy )による低燃費車の必要、並びに輸入小型車のBMW・3シリーズ、アウディ・80(米国名4000)、サーブ・900などの成功に刺激されたことにより、4気筒2リッタークラスのキャデラックが急遽開発されることになった。この結果誕生したのが、1981年にGMの世界戦略車として登場したJカーの一種たるシマロンであった。1981年5月21日に発表された。
Jカーはシボレーからキャデラックまで、いずれもホイールベース2,570mm、前輪マクファーソンストラット・後輪トーションビームのサスペンションを持ち、4ドアセダンのボディシェルもほぼ共通であった。エンジンも各ブランド共通で直列4気筒OHV1,800cc・88馬力エンジンを搭載していた。4気筒エンジンのキャデラックは1914年以来であった。ギアボックスには3速ATの他に4速MTが用意された。MTのキャデラックも1953年以来であった。
それでも、シマロンについてはサブフレームと車体の間に油圧ダンパーを追加して乗り心地・操縦性を改善する努力がなされたし、パワーステアリングやエアコンなど豊富な装備が標準で、内装も豪華だったが、外観上は大衆向けのシボレー・キャバリエやポンティアック・J2000とほとんど変わらないこの車が、価格だけは12,181ドル(2007年の物価水準では約3万ドル)からと、シボレーのほぼ2倍というキャデラック的な水準であったことは、自動車評論家や伝統的なキャデラックの需要層からの不評を買った。この結果、初年度の1982年モデルイヤーの販売台数は25,968台と、目標の三分の一に留まった。欧州車のユーザー層にも、パワー不足な上にラフな直列4気筒1,800ccエンジンではアピール不足だった。
シマロンには年々改良が加えられ、翌1983年モデルの排気量は2,000ccに拡大、1986年からは2,800ccV型6気筒OHV・125馬力エンジンがオプション設定され、1988年にはV6エンジンが標準となったが、その改善は小幅過ぎるし遅過ぎる(too little, too late.)と評された。1988年モデルは僅か6,454台しか販売されず、この年でシマロンはキャデラックのラインナップから消滅した。日本には正式輸入されなかった。
シマロンの失敗はバッジエンジニアリングの行き過ぎた例、1980年代のアメリカ車の競争力低下の一例としてしばしば取り上げられる。
小型のキャデラックを売る試みはその後も1990年代後半のカテラ(オペル・オメガベース)、BLS(サーブ・9-3ベース)と続いていたが、ヒットとは呼べなかった。
唯一、カテラの後継として販売が開始されたCTSはヒット作となっている。
関連項目
参考文献