エマニュエル・アギェマン=バドゥ(Emmanuel Agyemang-Badu, 1990年12月2日 - )は、ガーナ・ブロング=アハフォ州ベレクム(英語版)出身のサッカー選手。兄弟のナナ・アギェマン=バドゥもサッカー選手でアサンテ・コトコSCでプレーしている[1]。ポジションはミッドフィルダー。
経歴
クラブ
地元のベルリンFCでキャリアを始め[2]、ベレクム・アーセナル(英語版)へ移籍し、2007年5月21日にガーナ・プレミアリーグのオールスターチームに選ばれた[2]。
ベレクム.A&レクレアティーボ
2008年7月11日、アサンテ・コトコSCへ1年間のレンタル移籍をする[3]と、同年8月にはイングランドへ渡りミドルズブラFC[4]、3ヶ月後にウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCのトライアルを受けた[5][6]。
2009年4月16日、ベルリンFCから6ヶ月間の契約でレクレアティーボ・ウェルバへレンタル移籍をした[7][8][9]。この移籍に関して、ロイターはベルリンFCの公式をソースとし、レンタル料3万ユーロ(4万USドル)で加入したと報じ[10]、一方でAP通信は基本のローン期間は2009年夏の移籍市場が開始するまでで、さらにオプションで2012年6月30日まで契約出来ると報じた[11]。2009年9月中にレクレアティーボとの契約は終わり、アサンテ・コトコへ戻っていった[12]。
ウディネーゼ
2009年11月にBBCとSky Sportsは、2010年1月にセリエAのウディネーゼ・カルチョと契約を結ぶことを報じ[13][14]、2010年1月28日にウディネーゼはベルリンFCから完全移籍で加入したことを公式発表した[15]。2月12日のACミラン戦のためトップチームに初招集されるも試合に出場することはなく、暫く同様の状態が続いた後、3月28日のACFフィオレンティーナ戦(1-4)にパオロ・サンマルコと交代でデビューした。
2011-12シーズン開幕前にギョクハン・インレルがチームを去ったため、UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12プレーオフのアーセナルFC戦で先発出場し、新たに導入された4-1-4-1及び4-4-1-1のフォーメーションで攻撃的MFのジャンピエロ・ピンツィと同胞のクワドォー・アサモアと共に中盤を支えた。
代表
ユース時代はU-20及びU-23でプレーした。2009年1月1日にアフリカユース選手権・ルワンダ大会に向け招集され[16][17]、同年のエジプトで開催する2009 FIFA U-20ワールドカップにも出場した[18]。この大会では、2009年10月16日に行われたブラジルとの決勝戦のPK戦で試合を終わらせる最後のPKを決め、ガーナ史上にしてアフリカの国として初優勝をした。
A代表としては、2008年5月22日に初招集され[19]、6月8日のレソト戦で初出場を記録[20]。2009年のアフリカネイションズチャンピオンシップ・コートジボワール大会のメンバーに選出[21]。2011年6月のコンゴ共和国戦で初得点を決めた。
アフリカネイションズカップ2012のギニア戦での得点が評価され、同年のFIFAプスカシュ賞の候補に選出された。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 79試合 11得点(2008年-2017年)[22]
ガーナ代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2008 |
3 |
0
|
2009 |
3 |
0
|
2010 |
11 |
0
|
2011 |
10 |
3
|
2012 |
6 |
1
|
2013 |
14 |
3
|
2014 |
9 |
3
|
2015 |
11 |
1
|
2016 |
7 |
0
|
2017 |
5 |
0
|
通算 |
79 |
11
|
脚注
外部リンク