記者会見に望むタイガー・ウッズ (手前)とアール・ウッズ
アール・デニソン・ウッズ (Earl Dennison Woods , 1932年 3月5日 - 2006年 5月3日 )は、アメリカ のプロゴルファータイガー・ウッズ の父親。アメリカ ・カンザス州 マンハッタン 出身。
父親の影響で幼少の頃から野球に親しみ、リトルリーグでは州代表に何度も選出される。「肩の強さはメジャー級」と評され、カンザス州立大学 ではリーグ初の黒人 捕手として活躍する傍ら、子供たちに野球を教えることにも熱心であった。
アメリカ陸軍 に志願し、特殊部隊 グリーンベレー の一員として2度ベトナム戦争 に従軍。その後、タイ のバンコク で情報将校としての任務中クルティダと出会い結婚した。
アメリカ本土へ帰還後、軍で後進の教育に就いていた1974年 42歳のときゴルフ を始めた。同年退役後はマクダネル・ダグラス 社に勤務しながら、タイガーの教育に力を注ぐ。本人の回顧では、野球や陸軍で後進の指導に携わったことで得たノウハウはまるで「タイガーを育て上げるため」に神が与えてくれたかのようだった、という。
1975年 12月30日 クルティダとの間に男子が誕生、「エルドリック(Eldrick)」と命名したが、ベトナムで親交を深めた南ベトナム軍 将校で、「タイガー」の異名をとるグエン・T・フォン大佐(Nguyen T Phong)がMIA (作戦行動中行方不明 )となっていたことに対し、生還の願いと再会の期待を実子のニックネームに託し、「タイガー」と呼ぶようになった。
1996年 10月後半に心臓疾患(不整脈)で倒れ、心臓バイパス手術を受ける。1998年 には前立腺癌 が発見され、いったんは放射線療法である程度の回復を見たが、2004年 に病状が再発し、2006年 5月3日 、前立腺癌のため74歳で死去。彼は終の住処として、息子を育てたカリフォルニア州 サイプレス の自宅を選んだ。
1996年 に、タイガーと共に「タイガー・ウッズ 財団」(Tiger Woods Foundation)を設立し、またロサンゼルス に「タイガー・ウッズ ・ゴルフ教育センター」を建設するなど、本人が「第2の職業」と位置づける教育との関わりは深い。
マスターズ においては、1997年「21歳3ヶ月」で最年少優勝を飾ったタイガーとの抱擁や、2005年 病状が悪化し最終ラウンドの観戦ができなくなったが、このとき優勝したタイガーのコメント「この勝利を私の父に捧げます」などから、親子の絆の深さを感じさせる。
著書
TRAINIG A TIGER :PETE McDANIEL共著 日本語版:タイトル同じ、副題:「タイガー・ウッズ 父子のゴルフ&教育革命」大前研一訳(1997年6月小学館 ISBN 4-09-356081-1 )
Playing Through: Straight Talk on Hard Work, Big Dreams and Adventures with Tiger (日本語訳:『さあ始めよう、きっと何かが変わるはず―タイガー・ウッズを育てた魔法の言葉』)
外部リンク
参考文献
ジョン・ストリージ著『タイガー』(英語原書、原題:TIGER - A Biography of Tiger Woods , ISBN 0767901452 , ブロードウェイ・ブックス) 1998年増補のペーパーバック版より、7-12ページを参照。