アンドレア・ストラマッチョーニ(Andrea Stramaccioni、 1976年1月9日 - )はイタリア・ローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。2022年までアル・ガラファ監督。
来歴
現役時代のポジションはディフェンダー。ロムレアの下部組織で育ち、1990年にボローニャのプリマベーラに移籍する。1994年、イタリア国内の若手が集うトーナメントトルネオ・チッタ・ディ・ヴィニョーラ(イタリア語版)では最優秀選手賞に輝き、将来を嘱望された[1]。しかし同年にプロ契約を結ぶ直前、セリエCコッパ・イタリア、エンポリ戦に出場するも、試合中に相手選手と衝突。右膝半月板と靱帯に大ケガを負い、選手生命を絶たれた。
約6年間のブランクを経た2000年、USラティーナ・カルチョの下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせる。ASローマの下部組織では6年間在籍し、その間に3つの異なるカテゴリーを指導して2度の優勝に導いた[2]。
これらの成功によってローマは育成部門の最上位、プリマベーラの監督への昇格を検討したが、クラブはアルベルト・デ・ロッシ(ローマMFダニエレ・デ・ロッシの父親)を続投させた。
2011年にインテル・プリマヴェーラの監督に就任。2012年3月25日、U-19世代のチャンピオンズリーグに相当するNextGen シリーズの決勝でアヤックス・アムステルダムを下して優勝[3]。
その翌日の3月26日、成績不振により解任されたクラウディオ・ラニエリの後任として、トップチームの監督に電撃的に昇格した[4]。
就任後の9試合で5勝2分け2敗とチームの建て直しに成功すると、翌年のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した[5]。マッシモ・モラッティ会長がミラノダービーでの勝利を評価したこともあり[6]、シーズン終了後に契約を更新し、2015年までの3年契約を結んだ[7]。
2012-13シーズンは序盤はユヴェントスの無敗記録を49で止めるなど順調だったが、負傷者続出などもあり最終順位は9位という成績に終わった。シーズン終了後、解任が決定した。
2014-15シーズンからは、フランチェスコ・グイドリンが退任したウディネーゼ・カルチョの監督に就任することとなった。チームは16位と低迷し、シーズン終了後に解任された。
2015年11月8日、パナシナイコスFCと2年半の契約を交わし監督に就任[8]。11月22日に行われたオリンピアコスとのギリシャ・ダービーで初めて指揮を執った。
2017年5月28日、ACスパルタ・プラハの監督に就任した[9]。チェコ1部リーグで外国人が監督を務めるのはこれが4人目となった。2018年3月6日、成績不振によって解任された。
指導歴
監督としての成績
クラブ
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就任日
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退任日
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記録
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試合
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勝
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分
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負
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勝率 %
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インテル
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2012年3月28日
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2013年5月24日
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7001650000000000000♠65
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7001310000000000000♠31
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7001110000000000000♠11
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7001230000000000000♠23
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07001476900000000000♠47.69
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ウディネーゼ
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2014年6月4日
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2015年6月1日
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7001420000000000000♠42
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7001120000000000000♠12
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7001130000000000000♠13
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7001170000000000000♠17
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07001285700000000000♠28.57
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パナシナイコス
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2015年11月8日
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2016年12月1日
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7001520000000000000♠52
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7001220000000000000♠22
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7001140000000000000♠14
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7001160000000000000♠16
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07001423100000000000♠42.31
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計
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7002168000000000000♠168
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7001690000000000000♠69
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7001390000000000000♠39
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7001600000000000000♠60
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07001410700000000000♠41.07
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タイトル
指導者時代
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
脚注
外部リンク