アレクサンドル・ミハイロヴィチ(ロシア語: Александр Михайлович、? - 1340年)は、プロンスク公ミハイル・ヤロスラヴィチ(ru)の子である。プロンスク公:? - 1340年。
1340年にジョチ・ウルスに貢物を贈ろうとしたが、その途中でいとこのリャザン大公イヴァン(ru)に拘束された。その後リャザンへと送られて処刑された。
子
- ヤロスラフ(ru):プロンスク公・1340年 - 1342年、リャザン大公・1342年 - 1344年。
また、以下の人物はアレクサンドルの子であるという説[1]と、リャザン大公アレクサンドル・ヤロスラヴィチの子であるという説[2]がある。
出典
- ^ Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
- ^ Происхождение князя Олега Ивановича Рязанского
- 先代
- ミハイル・ヤロスラヴィチ
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- プロンスク公
- ? - 1340年
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- 次代
- ヤロスラフ・アレクサンドロヴィチ
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