アルベール・ド・ブロイ (フランス語 : Albert de Broglie )こと第4代ブロイ公爵ジャック=ヴィクトル=アルベール (仏 : Jacques-Victor-Albert, 4e duc de Broglie , 1821年 6月13日 - 1901年 1月19日 )は、フランス の貴族 、政治家 。
経歴
生い立ち
七月王政 時代の自由主義貴族、政治家の第3代ブロイ公爵ヴィクトル の息子として、1821年6月13日にパリ で生まれた[ 1] 。母方の祖母はスタール夫人 である。
大使館書記官として[ 2] マドリード 、ついでローマに短期間駐在した後、1848年の二月革命 により一旦公職を離れて文学に専念した[ 1] (ブロイは1846年には既にゴットフリート・ライプニッツ の宗教論を翻訳していた[ 1] )。また『両世界評論 』やオルレアニスト と聖職者の機関である週刊誌『通信員』(Le Correspondant )などに寄稿していたが、これらの寄稿は後に『Études morales et littéraires 』(1853年)と『Questions de religion et d'histoire 』(1860年)、そして『Nouvelles études de littérature et de morale 』(1869年)として出版された[ 1] 。1856年から1866年にかけて『4世紀における教会とローマ帝国』[ 2] (L'Église et l'empire romain au IV e siècle )を書き上げ、その功績で1862年にアカデミー・フランセーズ 会員に選出された[ 1] 。
1870年に父からブロイ公爵 位を継承した[ 1] 。
政界にて
ブロイ公を描いたカリカチュア 。ジョルジュ・ラフォス (フランス語版 ) 画、1873年。
1871年初にウール県 から国民議会 議員に選出された数日後(2月19日)、在イギリスフランス大使 に任命されたが、3月には仏英通商条約の交渉をめぐって批判されたことで大使を辞任、帰国して国民議会に登院した[ 1] 。議会で王党派の領袖として大統領アドルフ・ティエール と対立、1873年にティエールが辞任して王党派のパトリス・ド・マクマオン 元帥が大統領に就任すると、ブロイ公爵は同年5月に首相 兼外務大臣 に任命された[ 1] 。11月26日の内閣改造で外務大臣から内務大臣 に転じた[ 1] 。ブロイ公爵は首相在任中、超保守主義を貫き、共和派から激しい憎悪を向けられたほか、ボナパルティスト と友好な関係を維持したことで自派である正統王朝派(レジティミスト )からの支持を失い、さらに王党派諸派の間で妥協案を調整しようとしたことでボナパルティストからも不興を買い、1874年5月16日に総辞職を余儀なくされた[ 1] 。
1877年5月16日に再び組閣したが、同年の議会選挙 (英語版 ) では共和派が議会多数を確保、ブロイ公爵自身も元老院 議員の再選に失敗して、11月20日に首相を辞した[ 1] 。
晩年
1885年フランス議会選挙 (英語版 ) で再び落選すると、ブロイ公爵は政界から引退して歴史の研究に没頭、多くの著作を執筆した[ 1] [ 2] 。
1901年1月19日にパリ で死去した[ 1] 。
家族
妻ポリーヌを描いたドミニク・アングル の肖像画『ド・ブロイ公爵夫人の肖像 』。メトロポリタン美術館 所蔵。
1845年6月18日、ジョゼフィーヌ=エレオノール=マリ=ポリーヌ・ド・ガラール・ド・ブラサック・ド・ベアルン(Joséphine-Éléonore-Marie-Pauline de Galard de Brassac de Béarn )と結婚、5男をもうけた。
著作
Études morales et littéraires (1853年)[ 1]
『4世紀における教会とローマ帝国』(L'Église et l'Empire romain au IVe siècle 、1856年 – 1866年)[ 2]
Questions de religion et d'histoire (2巻、1860年)[ 1]
Nouvelles études de litterature et de morale (1868年)[ 1]
Le Secret du Roi, correspondance intime de Louis XV avec ses agents diplomatiques (1752-1774) (1878年)[ 1]
『フレデリック2世とマリア・テレジア』(Frédéric II et Marie Thérèse 、1882年)[ 2]
Frédéric II et Louis XV (1742-1744) (1885年)[ 1]
Marie-Thérèse Impératrice (1744-1746) (1888年)[ 1]
Le Père Lacordaire (1889年)[ 1]
Maurice de Saxe et le marquis d'Argenson ; la Paix d'Aix-la-Chapelle (1891年)[ 1]
『タレーランの回想録』(Mémoires de Talleyrand 、1891年)[ 2]
La Paix d'Aix-la-Chapelle (1892年)[ 1]
L'Alliance autrichienne (1895年)[ 1]
La Mission de M. de Gontaut-Biron à Berlin (1896年)[ 1]
Voltaire avant et pendant la guerre de Sept Ans (1898年)[ 1]
Saint Ambroise (1899年)[ 1]
出典
外部リンク