この項目では、初代 「エル・イホ・デ・ドス・カラス」について記述しています。2代目「エル・イホ・デ・ドス・カラス」の同名の人物については「エル・イホ・デ・ドス・カラス 」をご覧ください。
ホセ・アルベルト・ロドリゲス・チュクアン (Jose Alberto Rodríguez Chucuan 、1977年 5月25日 - )はメキシコ のプロレスラー 。サン・ルイス・ポトシ 出身[ 1] 。現在はアルベルト・エル・パトロン (Alberto El Patron )のリングネームでAAA に所属。
父はドス・カラス 。弟はWWE傘下のNXT に所属した経験があり、現在はIWRG などのメキシコのインディー団体で活動しているエル・イホ・デ・ドス・カラス 。伯父 にミル・マスカラス とエル・シコデリコ 、従兄弟 にシコデリコ・ジュニア がいる。
来歴
プロレス
キャリア初期
14歳でレスリング を始め、体格に恵まれていたこともあり強豪として活躍し、2000年 にはシドニーオリンピック のメキシコ 代表に選ばれた。同年よりプロレスラーとなるために父であるドス・カラス の下でトレーニングを開始し、5月9日にメキシコのメジャー団体であるAAA にてドス・カラスがピラタ・モルガン とエル・テハノ に襲撃されているところを登場して救出し、ドス・カラス・ジュニア (Dos Caras Jr. )としてデビューを飾った。
プロレスラーとしてのキャリアが間もないながらも2000年 9月29日にはPPVであるVerano De Escandalo 2000に出場し、エル・アリブリヘ & ラ・パルカ & サングレ・チカナ と組んでエル・コバルデ2号 & エル・テハノ & エスペクトロ・ジュニア & ピラタ・モルガンと8人制タッグマッチを行い勝利した。
2001年 1月21日、ドス・カラスとタッグを組んでメキシコナショナルタッグ王座 を保持し、因縁の相手でもあるエル・テハノ & ピラタ・モルガンにキャリア初のタイトルマッチを行うが敗戦した。10月14日、格闘探偵団バトラーツ の格闘ロマン2001 〜YUKI-BOM-BA-YA〜にて村上和成 に4分23秒、反則勝ち。
2002年 11月17日、K-1 、ドリームステージエンターテインメント 、全日本プロレス 共催のイベントであるWRESTLE-1 に参戦。仮面貴族の隠し兵器であるサム・グレカラス と組んでカズ・ハヤシ & 太陽ケア と対戦し、ダブル・フライング・クロスチョップ を繰り出すなど観客を盛り立てて勝利した。12月15日、ZERO-ONE に参戦し、同じ2世レスラーであるジミー・スヌーカ・ジュニア と組んで横井宏考 & 佐藤耕平 と対戦して勝利。
2003年 7月、ZERO-ONEに再び参戦。リスマルク・ジュニア と組んでOH祭タッグトーナメントに出場。同月13日、2回戦で小川直也 & 藤井克久 と対戦するが敗戦した。
2004年 1月4日、ハッスル の旗揚げ戦となるハッスル1 に参戦。ソラール と組んでカズ・ハヤシ & 小島聡 と対戦するが敗戦した。10月23日、再びハッスルに参戦。ハッスル6にてリスマルク・ジュニアと組んで出場。高田モンスター軍 の一員としてエル・ハテナ・ドス (El Hatena Dos )、リスマルク・ジュニアはエル・ハテナ・ウノとしてコミカルなキャラクターで登場し、ハッスル仮面きん & ハッスル仮面ぎん と対戦するが敗戦した。
11月、メキシコのメジャー団体であるCMLL に入団。同月5日、エレア・パーク & ショッカー と組んでラ・フリア・デル・ノルテ (エクトール・ガルサ & ペロ・アグアヨ・ジュニア & タルサン・ボーイ )と対戦して勝利した。CMLLデビュー後、しばらくは6人制タッグマッチを中心に出場するが2005年 よりタイトル獲得のチャンスの訪れ、5月10日にはCMLL世界ヘビー級王座 を保持するウニベルソ・ドスミル に挑戦するが敗戦。27日にはCMLL世界ライトヘビー級王座 を保持するウルティモ・ゲレーロ に挑戦するが敗戦し、いずれも戴冠するに至らなかった。
2006年 3月4日、闘龍門MEXICO に参戦。ワンデイトーナメントであるヤマハカップにリスマルク・ジュニアと組んでエントリーして決勝まで進出するもチャック・パルンボ & ジョニー・スタンボリー と対戦して敗戦し、準優勝に終わった。3月31日、2世レスラーのトーナメントであるラ・コパ・ジュニア2006に出場し決勝まで進出。エクトール・ガルサと対戦して勝利し、優勝。プロレスラーとしてのキャリア初のタイトルを獲得した。
2007年 7月8日、CMLL世界ヘビー級王座を保持するウニベルソ・ドスミル に挑戦して勝利し、ベルトを奪取。CMLL世界ヘビー級王者となってからは2008年 12月22日にウルティモ・ゲレーロに敗戦して王座陥落するまで1年に渡りベルトを守り抜いた。CMLL世界ヘビー級王座陥落後、タイトル戦線では後一歩というところまで行くも届かない状態が続いたものの2009年 にはルードに転身して大活躍し、ストーリーラインを盛り上げた。6月12日、ショッカーとの3本勝負を行って敗戦したのを最後にCMLLを退団した。
WWE
FCW
2009年 6月17日、WWE と契約を交わして入団[ 2] 。傘下団体であるFCW においてトレーニングを開始し、7月9日にクリス・ローガン とデビュー戦を行うも敗戦。15日にはリングネームをドス (Dos )へと変更。従兄弟であるシコデリコ・ジュニア とタッグを組んでクリストフ・ヘルツォーク & ヴァンス・アーチャー と対戦して勝利した。30日、リングネームをアルベルト・バンデラス (Alberto Banderas )へと変更し、マスクを脱いで素顔で活動。
WWE
2010年 Tribute to the Troops
2010年 5月、WWEのダーク・マッチ とハウス・ショー にて再びドス・カラス・ジュニアとして登場。7月からSmackDown にてアルベルト・デル・リオ (Alberto Del Rio )にリングネームを変更してプロモーションを行う。専属リングアナウンサー のリカルド・ロドリゲス を従え、高級車を乗り回し、メキシコの貴族出身を自称する高慢なヒール として登場(スペイン王家の血を引くメキシコの大富豪とアナウンスされた)、8月20日の放送においてレイ・ミステリオ から勝利を奪うという破格のデビューを飾った。翌週にミステリオを襲撃し負傷させ、アングル 上で休場に追い込んだ。その後クリスチャン と抗争するが、クリスチャンが大胸筋断裂で実際に負傷したため、ミステリオ同様の負傷アングル で抗争は終決。入れ替わりに10月1日の放送局移籍記念のSmackDownにてミステリオが復帰、抗争が再開された。11月に2年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リング では、予選でロドリゲスの援護もありビッグ・ショー にカウントアウトで勝利、1回戦でダニエル・ブライアン を破るが、2回戦でミステリオの邪魔が入りジョン・モリソン に敗れた。同年12月から新人発掘番組であるNXT シーズン4では、コナー・オブライアン やブローダス・クレイ を指導するプロとして登場した。
2011年 1月30日、Royal Rumble 2011 のランブル戦 で優勝し、WrestleMania XXVII での世界ヘビー級王座 への挑戦権を獲得。4月3日、WrestleMania XXVIIにて王者であるエッジ に挑戦するも敗退した。4月25日、ドラフトでRAW に移籍。6日後のExtreme Rules 2011 ではエッジの引退によって空位になった世界ヘビー級王座の新王者を決定するラダー・マッチ でクリスチャンと対戦し、クレイとロドリゲスを介入をさせるもエッジの援護により有利になったクリスチャンに敗戦。王座戴冠は果たせなかった。
7月17日、Money in the Bank 2011 において8選手参加のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ に勝利し、いつでもどこでもWWE王座 に挑戦できる権利を獲得。8月14日のSummerSlam 2011 ではCMパンク がジョン・シナ を破り統一WWE王者となったが、試合後にケビン・ナッシュ が乱入しパンクを襲撃。そこへデル・リオが登場して挑戦権を行使し、パンクをフォール。メキシコ人初のWWE王者となるが、再戦権を行使したシナと9月18日のNight of Champions 2011 にて対戦し敗退、王座を失った。
王座陥落後、10月2日のHell in a Cell 2011 でのシナ & CMパンクとのトリプル・スレット・ヘル・イン・ア・セル に勝利してベルトを奪還。10月23日のVengeance 2011 ではシナから勝利して王座を防衛するも、11月20日のSurvivor Series 2011 でCMパンクに王座を奪われた。12月18日のTLC 2011 では王座奪還に失敗。翌19日のRAWでは試合中に股関節を負傷し、欠場に追い込まれた。
2012年 、WrestleMania XXVIII の直後に復帰。世界ヘビー級王者 であるシェイマス に反則勝ちし、世界王座挑戦権を獲得。以後、シェイマスとの抗争が展開されたが、王座獲得には至らなかった。9月よりオートンとの抗争を開始し、11月6日のSmackDownで一騎討ち を行うも敗戦。オートンとの抗争終了後、TLC 2012 にてロドリゲスを襲った3MB を倒すためにフェイスターン する。
2013年 1月8日、SmackDownにて世界ヘビー級王者であるビッグ・ショーとラストマン・スタンディングマッチでの王座戦に挑戦し勝利。初の世界ヘビー級王座を戴冠した。その後もビッグ・ショーやジャック・スワガー から王座を守ったが、WrestleMania 29直後のRAWのスワガー & ゼブ・コルター 戦で足に大ダメージを負ったところをMr.マネー のドルフ・ジグラー に挑まれ、王座を失う。しかし、Extreme Rules 2013 でスワガーとのアイ・クイットマッチに勝利して挑戦権を守り、Payback 2013 にてジグラーと対戦。頭部にダメージを受けていたジグラーの頭を何度も蹴って王座を奪還したことでファンの反感を買い、ヒールターンした。ジグラーやクリスチャン などを相手に王座を防衛したが、ロブ・ヴァン・ダム との対戦でロドリゲスが用意した凶器で敗戦。これをきっかけにロドリゲスを襲撃して専属リングアナから解雇とした。RVD & ロドリゲスと抗争を展開して王座を防衛するも、WWE Hell in a Cell 2013 にてシナと対戦して敗戦し、王座を奪われた。
2014年 、Royal Rumble 2014 の開催期間が近づき、復帰する事が発表されていたバティスタ を倒す事を宣言。バティスタの友人という程でデル・リオに反感を買ったレイ・ミステリオと短期抗争を展開し、勝利したもののバックステージから乱入したバティスタからリング外へと追い出された。Royal Rumble 2014ではロイヤルランブルマッチにて27番目に登場し、続いて28番目に登場してきたバティスタとの対戦を迎えるも脱落させられる結果に終わった。Elimination Chamber 2014 ではバティスタとシングルマッチによる遺恨戦を組まれたものの故障していた事もあり、出場する事を拒否していたもののリングへと入ると故障を偽り、松葉杖を使ってバティスタを奇襲するも敗戦した。バティスタとの抗争後、IC王座 挑戦権争奪トーナメントやUS王座 争奪4wayマッチなどに出場するも結果を出せず、Money in the Bank 2014 では世界ヘビー級王座争奪ラダーマッチに出場するもベルトを奪取するに至らなかった。8月7日、スタッフと言い争いを起こしていた事など、素行不良によりWWEから解雇となった[ 3] 。
AAA
WWE解雇後、2014年 8月11日、同月17日にAAA にて行われる年間最大のイベントであるTriplemanía XXII にて復帰する事が発表された[ 4] 。アルベルト・デル・リオはWWEが商標登録しているため、リングネームをエル・パトロン・アルベルト (El Patron Alberto )へと変更した[ 5] 。9月14日、Ring & Rock StAAArs 3にてミステシス & ラ・パルカ と組んでラ・ヌエバ・ソシエダード (アベルノ & エル・テハノ・ジュニア & ペロ・アグアヨ・ジュニア )と対戦して勝利した。10月8日、WRESTLE-1 のWRESTLE-1 TOUR 2014 初代王者決定トーナメントにて11月1日に開催されるイベントであるHOLD OUTにアルベルト (Alberto )のリングネームで参戦する事が発表された[ 6] 。そして11月1日、WRESTLE-1にて船木誠勝 と対戦。船木の蹴り技に苦戦するも最後には隙をついて船木のタイツをつかんだままの横入り式エビ固めで勝利した[ 7] 。11月15日、ペンシルベニア州 に所在するかつてECWアリーナの名で知れた2300アリーナ にて行われたトミー・ドリーマー が主宰する団体であるHOH(House of Hardcore)にゲスト出演。リングに上がりマイクパフォーマンスをしている最中に襲撃してきたブライアン・マイヤーズ を撃退し、観客を沸かせた。12月7日、PPVであるGuerra de Titanes 2014にてAAA世界ヘビー級王座 を保持するエル・テハノ・ジュニア に挑戦して勝利。ベルトを奪取すると共にCMLL、AAA両団体の最高王座獲得経験者となった。12月11日、ROH にアルベルト・エル・パトロン (Alberto el Patron )のリングネームで参戦する事を発表。同月13日、イングランド のインディー団体であるFPW(Future Pro Wrestling)のイベント、Jingle Bell Brawlに参戦。マーティー・スカール と対戦して勝利した。
2015年 1月3日、ROHにてクリストファー・ダニエルズと対戦し、クロス・アームブリーカーを決めて勝利。試合後は互いを健闘し合うも突如介入してきたジェイ・リーサル により襲撃されるもダニエルズとカザリアン に救出された。5月24日、ルチャドールによるワールドカップと言えるトリオトーナメント、Victoria Lucha Libre World Cupにミステシス & レイ・ミステリオ・ジュニア とメキシコドリームチームを結成。決勝まで勝ち進み、TNA & ルチャアンダーグラウンド連合チーム (ミスター・アンダーソン & ジョニー・ムンド & マット・ハーディー )と対戦して勝利し、優勝を飾った[ 8] 。
WWE
2015年10月25日、WWEのHell in a Cell 2015 にて車椅子に乗って入場してきたゼブ・コルター に呼ばれて電撃復帰を果たし、WWE US王座 を保持するジョン・シナに挑戦して最後にダブル・ニー・バックブリーカー からスーパーキック をシナの顔面に決めて勝利した[ 9] 。10月26日、RAWにてバックステージのインタビューでWWE US王座をコルターの独断でWWEメックスアメリカン王座へと改称する事を宣言。試合ではネヴィル とノンタイトルマッチを行い最後にネヴィルをコーナー際のトップロープへ宙づりの状態にしてコーナーポスト上からダブルフットストンプを見舞い勝利した[ 10] 。11月5日、SmackDownにてネヴィルと再戦。最後にダブルフットストンプを決めて勝利。試合後にネヴィルにスーパーキックを浴びせてからクロスアーム・ブリーカーを決めて追い打ちをかけているところへジャック・スワガー が乱入。リング上で睨み合う展開になった[ 11] 。12月13日、TLC 2015 にてスワガーとチェアーズマッチによるUS王座戦を行う。リング内に何脚もの椅子が扱われ互いに叩き合いを展開。終盤にはトップロープでの攻防でクロスアーム・ブリーカーを極め、セカンドロープに跨った状態のスワガーの背中へ椅子で殴打するとリング内にある椅子をかき集めてその上にダブルフットストンプを見舞い勝利した[ 12] 。
2016年 1月11日、RAWにてカリスト とWWE US王座戦を行う。終盤にサリーダ・デル・ソル を狙われるが切り返してカウンターのミドルキックを喰らわせ悶絶させる。そしてジャーマンスープレックス を仕掛ようとしたところを切り返されると丸め込まれ敗戦。王座から陥落[ 13] 。同月14日、SmackDownにてカリストとリベンジマッチを行い、終盤にロープにもたれていたカリストへストローク を決めようとするが避けられ場外へ転落。すかさずカリストがスーサイド・ダイブ を仕掛けてきたところへセコンドのキング・バレット のサポートにより避けて誤爆させるとリング内に放り込み、最後にクロスアーム・ブリーカーを決めて勝利。ベルトを奪い返した[ 14] 。
8月18日、ウェルネスポリシーに違反した為に30日間の謹慎処分を受ける[ 15] 。9月9日、WWEから解雇となった[ 16] 。
インディー団体
WWE解雇後、2016年9月24日、イングランド ・ニューカッスル・アポン・タイン を拠点とするWCPW(WhatCulture Pro Wrestling)に参戦。ビッグ・ダモと対戦。最後にクロスアーム・ブリーカーを決めて勝利[ 17] 。10月15日、WWC Aniversario 43にてペイジ を同伴して凱旋。レイ・ゴンザレスとラ・ファウラ・デ・ラ・ムエルテ・マッチ を行い、最後にメキシコ国旗で殴打して勝利した[ 18] 。同月16日、WWC Aniversario 43にてカリート と対戦して勝利。試合後にはペイジをリングに招き入れるとプロポーズをした[ 19] 。11月12日、ニュージャージー州 を拠点とするJAPW のJAPW 20th Anniversary Showに参戦。サミ・キャラハン と対戦。終盤にストレッチマフラー で極められるが切り返すとクロスアーム・ブリーカーを決めて勝利[ 20] 。12月17日、WCPWにてジョニー・ムンド と対戦。終盤にムンドの450°スプラッシュ を避けるとクロスアーム・ブリーカーを決めて勝利[ 21] 。
2017年 2月12日、WCPW True Destinyにてカート・アングル と対戦。最後にアンクルロック を極められ敗戦[ 22] 。
Impact Wrestling / GFW
2017年3月2日、Impact Wrestling と契約を交わし入団[ 23] 。同月9日、Impact Wrestling にて初登場。TNA世界ヘビー級王座 を保持するラシュリー に挑戦。試合終盤、ラシュリーがレフェリーを身代わりにしてスーパーキックを誤爆するとリング上は無法地帯と化し、場外よりベルトを持ち出したラシュリーにスーパーキックを浴びせベルトを奪い殴打するとフォールを奪い勝利。ベルトを奪取した[ 24] 。しかし、この裁定に対し不服として訴えたラシュリーの申し立てが通り王座を剥奪された[ 25] 。5月12日、GFW からImpact Wrestlingへと管理が移ったベルトであるGFWグローバル王座を保持するマグナス に挑戦。終盤にトーメンターム を仕掛けられようとしたところから切り返すとクロスアーム・ブリーカーを決めてギブアップを奪い勝利。ベルトを奪取した[ 26] 。7月2日、Slammiversary XVにてImpact Wrestling世界ヘビー級王座 を保持するラシュリーと自身のGFWグローバル王座を懸けて統一王座戦を行う。多数の総合格闘家 をセコンドに率いるラシュリーに対して自身は家族であるドス・カラス とエル・イホ・デ・ドス・カラス を招聘。終盤に両者場外に落ちた際にキング・モー より起こされようとしたところにドス・カラスにより助けられるがこの行為に憤慨したラシュリーがドス・カラスと口論している隙を突いて延髄斬りからダブルフットストンプを決めて勝利。統一王者になった[ 27] 。同月9日、フロリダ州 に所在するオーランド国際空港 にて恋人であるペイジ と喧嘩となり、警察沙汰になる事件を起こして問題となった為、無期限の出場停止を言い渡される[ 28] 。8月14日、7月に問題を起こした件で統一GFW世界ヘビー級王座のベルトを剥奪される[ 29] 。11月5日、Bound for Glory 2017 にてインパクト・グローバル王座 を保持するイーライ・ドレイク vs 挑戦者のジョニー・インパクト の試合で乱入。インパクトに対して加担しようと見せかけスティールチェアーで殴打。ドレイクにフォールさせて勝利をアシストした[ 30] 。2018年4月7日、解雇となった。
2020年5月に元交際相手から誘拐&性的暴行の容疑で訴えられて裁判中だったが、先日元交際相手はインスタグラムに”私の間違いでデル・リオ・ファミリーに迷惑をかけた事を謝罪します。”と投稿した。どうやらその後元交際相手は訴えを取り下げた模様。告訴はテキサス州ベア郡で起こされベア郡のサイトにも告訴の内容が掲載されていたが、現在ではすでにこの内容は削除されている。
総合格闘技
2001年 、総合格闘家であるマルコ・ファス に師事。史上初の覆面バーリトゥーダーとなった。8月18日、DEEP2001 in YOKOHAMAで謙吾 と対戦。フロントスープレックスで投げた際に謙吾が右肘脱臼した事によりTKO勝利。
2002年 3月30日、DEEP 4th IMPACTで謙吾とのリベンジマッチを組まれ、チョークスリーパー で一本負け。9月7日、DEEP 6th IMPACTにて中野巽耀 とプロレスラー対決を行い、チョークスリーパーで勝利。
2003年 9月15日、DEEP 12th IMPACTにてリングス に参戦した経験のあるブラッド・コーラーと対戦して肩固めで勝利。10月5日、PRIDE 武士道 にてミルコ・クロコップ と対戦して46秒で左ハイキックを喰らいKO負け。
2004年 2月1日、PRIDE.27 にて中村和裕 に0-3で判定負けを喫した。
その他
得意技
クロスアーム・ブリーカー
ダブル・ニー・バックブリーカー
延髄蹴り
フィニッシュ・ホールド
クロスアーム・ブリーカー
現在のフィニッシャー。飛びつき腕挫き十字固め。総合格闘技で四点ポジションと呼ばれる相手が四つん這い状態からの巻き込み式や、仰向けにダウンしている相手に一般的な腕ひしぎ十字固めの要領でかける場合もある。
ダブル・フット・ストンプ
コーナーでの攻防時、相手を逆さ吊り状態にして上から踏み潰すように使用する。
延髄斬り
コーナーにもたれかかっている相手に対してよく使用する。たまにトップロープ上の相手にも使用する。場合によっては不意打ちで使用してフィニッシャーに成り得る。
スーパーキック
尻もちをついたり膝から崩れている相手の顔面を狙って放つ。2013年6月、この技でジグラーから世界王座を獲ったことで「世界王座を獲った蹴り」とたびたびアナウンスされ、格下の相手に対してはフィニッシャーとなる。
その他
スープレックス
スーパープレックス
ジャーマンスープレックス
DDT
前屈みになった相手の首の後ろに正面から左腕を回して相手の頭を左脇に抱え込み、相手の頭を抱えたまま背中から倒れて、その勢いで前のめりに倒れ込んだ相手の頭部を打ちつける。
ダブル・ニー・アームブリーカー
バックスタバー の体勢で相手の腕に飛びつき引き倒しながら相手の腕にダメージを与える。基本的には正面から仕掛けるが、ごくまれに背後から仕掛ける場合もある。
ダブル・ニー・バックブリーカー
カリート のバックスタバーと同型技。
ケブラドーラ・コンヒーロ
風車式バックブリーカー
リバース・スーパー・スープレックス
ウルティモ・ゲレーロ の得意技ゲレーロ・スペシャルと同型の雪崩式リバース・ブレーンバスター。
コーナーでの攻防時に使用する場合がある。
トペ・スイシーダ
プランチャ・スイシーダ
ジャーマン・スープレックス
ムーンサルト・プレス
獲得タイトル
WWE王者時代
Impact Wrestling / GFW
AAA
WWL
WWE
CMLL
戦績
総合格闘技 戦績
14 試合
(T)KO
一本
判定
その他
引き分け
無効試合
9 勝
2
7
0
0
0
0
5 敗
2
1
1
1
勝敗
対戦相手
試合結果
大会名
開催年月日
×
ヤマモト・ハンシ
2R 2:47 TKO(パンチ連打)
Cage of Combat 4: Spanish Bombs
2010年2月27日
○
アルター・バート
1R 3:51 KO(ハイキック)
Cage of Combat 3: San Vale Tudo
2010年2月13日
○
森谷俊之
1R 3:17 ネッククランク
Cage of Combat 1
2009年12月26日
○
イグナシオ・ラグーナ
2R 2:36 チョークスリーパー
Berkman MMA Promotions 1
2008年12月15日
○
ハト・キヨシ
2R 2:31 チョークスリーパー
MMA Xtreme 17
2007年12月15日
○
フォアオ・トゥア
1R 2:41 フロントチョーク
MMA Xtreme 14
2007年10月13日
○
ジョージ・キング
1R 4:00 チョークスリーパー
VFX: Vale Tudo Fighters Mexico
2007年5月27日
×
中村和裕
3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3
PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN
2004年2月1日
×
ミルコ・クロコップ
1R 0:46 KO(左ハイキック)
PRIDE 武士道
2003年10月5日
○
ブラッド・コーラー
1R 1:25 ギブアップ(右肩の負傷)
DEEP 12th IMPACT in OHTAKU
2003年9月15日
×
伊藤博之
1R 3:21 反則(ロープ掴み)
DEEP 9th IMPACT in KORAKUEN HALL
2003年5月5日
○
中野巽耀
1R 4:05 チョークスリーパー
DEEP2001 6th IMPACT in ARIAKE COLOSSEUM
2002年9月7日
×
謙吾
2R 3:56 チョークスリーパー
DEEP2001 4th IMPACT in NAGOYA
2002年3月30日
○
謙吾
1R 0:50 TKO(右肘の脱臼)
DEEP2001 in YOKOHAMA
2001年8月18日
入場曲
Funba Rumba
Realeza
Realeza 2013
Flijolero
Hellfire
A League of Their Own
Power of Mexico - 現在使用中
脚注
^ “Alberto Del Rio ”. Online World of Wrestling. 2015年8月22日 閲覧。
^ WWE Signs Dos Caras Jr. 411mania.com、2009年6月18日閲覧。
^ Alberto Del Rio released WWE.com、2014年8月7日閲覧。
^ Alberto Del Río en Triplemanía XXII AAA、2014年8月11日閲覧。
^ Alberto Del Rio's New Ring Name Revealed, Latest On Him Possibly Wrestling On Sunday, More PWMania.com 2014年8月15日閲覧。
^ 11.1両国に元WWEデル・リオが参戦=W-1 Yahoo Japan ニュース、2014年10月8日閲覧。
^ 武藤敬司デビュー30周年記念大会「HOLD OUT」第8試合 スポーツナビ、2014年11月1日閲覧。
^ “El Dream Team victorioso en la Lucha Libre World Cup ”. Superluchas.com. 2015年5月25日 閲覧。
^ “WWE Hell in a Cell PPV Results - 10/25/15 (Lesnar vs. Taker) ”. Wrestleview.com. 2015年10月25日 閲覧。
^ “WWE RAW Results - 10/26/15 (Reigns is No. 1 Contender) ”. Wrestleview.com. 2015年10月26日 閲覧。
^ “WWE Smackdown Results - 11/5/15 (Ambrose vs. Owens) ”. Wrestleview.com. 2015年11月6日 閲覧。
^ “WWE TLC PPV Results - 12/13/15 (Sheamus vs. Roman Reigns) ”. Wrestleview.com. 2015年12月13日 閲覧。
^ “WWE RAW Results - 1/11/16 (Brock Lesnar returns) ”. Wrestleview.com. 2016年1月11日 閲覧。
^ “WWE Smackdown Results - 1/14/16 (Tag team main event) ”. Wrestleview.com. 2016年1月14日 閲覧。
^ “Alberto Del Rio suspended ”. WWE.com. 2016年8月18日 閲覧。
^ “WWE releases Alberto Del Rio ”. WWE.com. 2016年9月9日 閲覧。
^ “WCPW Notes (09/24/2016) ”. KayfabeToday.com. 2016年9月24日 閲覧。
^ “WWC: Resultados Aniversario 43 – Jeff Hardy vs Carlito – Alberto ‘El Patrón’ llega con Paige (Fotos + Videos) ”. Superluchas.com. 2016年10月18日 閲覧。
^ “Sonarán las campanas en la WWE: Paige le pidió matrimonio a Alberto del Río ”. LaOpinion.com. 2016年10月18日 閲覧。
^ “Complete Jersey All Pro Wrestling 20th Anniversary Show Coverage: Low Ki, Alberto El Parton, Sami Callihan, Homicide, Hit Squad, Drago, Aerostar & MORE ”. PWInsider.com. 2016年11月13日 閲覧。
^ “WCPW Loaded – Episode 18 (taped December 1, 2016) ”. BackBodyDrop.com. 2016年12月17日 閲覧。
^ “WCPW True Destiny Results & Review ”. VoicesofWrestling.com. 2017年2月15日 閲覧。
^ “TNA News: Former WWE Superstar Alberto Del Rio Signs With TNA Wrestling ”. Inquisitr.com. 2017年3月2日 閲覧。
^ “Impact Wrestling Results – 3/9/17 (Impact reboot, Lashley vs. El Patron) ”. Wrestleview.com. 2017年3月9日 閲覧。
^ “** SPOILERS ** Impact Wrestling Tapings For 3/16 And 3/23 ”. WrestleInc.com. 2017年3月3日 閲覧。
^ “Impact Wrestling Results – 5/12/17 (Alberto El Patron vs. Magnus) ”. Wrestleview.com. 2017年5月12日 閲覧。
^ “Slammiversary Results – 7/2/17 (Lashley vs. Alberto El Patron) ”. Wrestleview.com. 2017年7月2日 閲覧。
^ “Alberto El Patron GFW Suspension Update ”. Wrestleinc.com. 2017年8月3日 閲覧。
^ “Breaking: Alberto El Patron Stripped Of GFW World Heavyweight Championship ”. Wrestleinc.com. 2017年8月14日 閲覧。
^ “Bound for Glory Results – 11/5/17 (Eli Drake vs. Johnny Impact in Ottawa) ”. Wrestleview.com. 2017年11月5日 閲覧。
^ 東京スポーツ 2012年5月19日号 28面 デル・リオ独占インタビュー参照
外部リンク