アルブレヒト4世(Albrecht IV., 1447年12月15日 - 1508年3月18日)は、15世紀の上バイエルン=ミュンヘン公。アルブレヒト3世の5男。ヨハン4世、ジギスムントの弟。狡猾公(der Weise)の渾名を持つ。
生涯
聖職者になる予定だったが、長兄のヨハン4世が急死したため、次兄のジギスムントと共同統治することになった。1467年にジギスムントが公の座を降りてダッハウに居住したので、アルブレヒト4世の単独統治となった。ジギスムントは1501年に死去、ダッハウも返還された。
1486年にレーゲンスブルクを占領し、1487年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の娘クニグンデと勝手に結婚した。激怒したフリードリヒ3世と対立するも、義兄のローマ王マクシミリアン1世の仲介で和睦した。チロル領主ジークムントとの紛争も解決、以後マクシミリアン1世に仕えた。
1503年、遠縁の下バイエルン=ランツフート公ゲオルクが死去、婿のループレヒト(プファルツ選帝侯フィリップの3男)が相続人に指名されたことに反発し、ランツフート継承戦争を起こした。マクシミリアン1世の加勢も得てアルブレヒト4世はこの戦争に勝利し、ゲオルクの遺領の大半を獲得してバイエルンを統一した(残りはループレヒトの子でゲオルクの外孫オットー・ハインリヒがプファルツ=ノイブルク公として継承)。
以後のバイエルンの分裂を防ぐため、1506年に分割相続を禁止した布告を発布した。1508年のアルブレヒト4世の死後、長男のヴィルヘルム4世が相続したが、1516年に次男のルートヴィヒ10世も相続権を主張して兄に共同統治を認めさせた。1545年のルートヴィヒ10世の死によってバイエルンは再統一され、以後長子単独相続として続いていく。
子女
関連項目