第3代グウィディア男爵 および第23代ウィラビー・デ・エアズビー男爵 アルビリック・ドラモンド=ウィラビー (英語 : Albyric Drummond-Willoughby, 3rd Baron Gwydyr, 23rd Baron Willoughby de Eresby 、1821年 9月25日 – 1870年 8月26日 )は、イギリスの貴族。
生涯
アルビリック・ドラモンド・ウィラビーの墓、2016年撮影。
第22代ウィラビー・デ・エアズビー男爵ピーター・ロバート・ドラモンド=バレル (英語版 ) (1865年没)とサラ・クレメンティナ・ドラモンド(Sarah Clementina Drummond 、初代パース男爵ジェームズ・ドラモンド の娘)の長男として、1821年12月25日に生まれ[ 1] 、30日にハノーヴァー・スクエア (英語版 ) の聖ジョージ教会 (英語版 ) で洗礼を受けた[ 2] 。
出生名はアルビリック・ドラモンド=バレル (Albyric Drummond-Burrell )だったが、1829年6月26日にジョージ4世 の認可状(royal license )を得て姓をドラモンド=ウィラビーに改めた[ 2] 。
1865年2月22日に父が死去すると、ウィラビー・デ・エアズビー男爵 、グウィディア男爵 、(ウェスト・グリンステッド・パークの)準男爵の爵位[ 1] 、そして式部卿 の世襲権の2分の1を継承した。1867年8月16日、貴族院 議員に正式に就任した[ 2] 。
1870年8月26日に死去、9月2日にエデナム (英語版 ) で埋葬された[ 2] 。生涯未婚だったため、準男爵とグアイディア男爵の爵位は叔父リンジー・メリック・ピーター・バレル(Lindsey Merrick Peter Burrell )の息子ピーター・ロバート・バレル (英語版 ) が継承、ウィラビー・デ・エアズビー男爵の爵位は2人の姉クレメンティナ・エリザベス とシャーロット・オーガスタ・アナベラの間で保持者不在 になった(1871年解消)[ 1] 。
脚注
^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 52.
^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 148–149.